鈴木翔『教室内カースト』を読んで
以下は 鈴木翔『教室内カースト』を簡単にまとめています。(時間があまりないため、印象に残った部分を簡単に内容をまとめただけとなっています。)
我々が自身の学校生活を振り返った際に、多数の方が(いじめに満たないものまで含む、広い意味での)上下関係を感じたことがあるという。本書では上位に位置づけられる「1軍」、下位に位置づけられる「3軍」の簡単なチェックリストが記載されていた。以下は本書で紹介されていたリストの一部(pp.34)を省略・抜粋したものである。(森慶一「学校カーストが『キモメン』を生む-分断される教室の子どもたち」の直接引用のようです。)
■ あなたの子どもは1軍? それとも3軍? チェックリスト
【1軍、Aランク特徴】
○ サッカー部、バスケ部、野球部のいずれかに所属
○ 遠足はバスの最後列を仲間内で占拠
○ 休み時間はクラスで仲間と騒いでいる
○ 学級委員や生徒会など面倒な仕事はCランクに押し付ける
○ 制服を改造したりインナーを変えるなど、工夫している
【3軍、Cランク特徴】
○ 文化系、または卓球部に所属
○ 修学旅行や体育の時間にグループ分けで余る
○ 外見を気にしない(髪型や眉毛の手入れ、ニキビのケアをしていない
○ 異性とコミュニケーションを取れない
○ オタク趣味である
私も自身の経験を振り返ると確かに、上記の項目に該当する生徒はいわゆる「1軍」「3軍」としてそれぞれのポジションに固定されて、確かに一定の上下関係が存在していたように感じる。もちろん簡単なチェックリストに過ぎないので、必ずしも当てはまるわけではないが、上記の項目の諸要素は何となく正しいような印象を受ける。
本書では、上記に見られるクラス内の上下関係である「スクールカースト」を、いじめとの関連という観点からではなく、「スクールカースト」そのものの実態を調査・紹介している。「スクールカースト」の定義は以下の通りである。(pp.29) (森口朗「いじめの構造」の直接引用のようです。)
スクールカーストとは、クラス内のステイタスを表す言葉として、近年若者たちの間で定着しつつある言葉です。従来と異なるのは、ステイタスの決定要因が、人気やモテるか否かという点であることです。上位から「一軍・二軍・三軍」「A・B・C」などと呼ばれています。
スクールカーストそれ自体はクラス内での上下関係であり、それがいじめそのものとは一致しないのが注目すべき点だと思います。いじめは身体的・精神的な苦痛を伴うものですが、スクールカースト自体は単なるクラス内の位置づけであり、各ポジションに割り当てられた生徒が苦痛を感じているとは限らないという特徴を持ちます。
自身の経験を振り返っても、やはり(卓球部を除く)運動部は積極的に発現する場面が多い記憶があるし、彼らの主張が多少強引でも押し通ってしまう場面を見た気がする。逆に、文化系の部活に属していた生徒は損な役回りを引き受けがちだった覚えもある。ただし、彼らがそれらを苦痛と感じていたかと言われると、そうではなく「キャラ的にしょうがない」と納得していた気がするし、各グループ内ではそれなりに楽しそうな学生生活を送っていたように思える。
ただし、スクールカーストそのものはいじめとは一致しないものの、いじめと重ねあわせて考えると、やはり3軍と呼ばれる立場の低い人がいじめの対象になることが多いという。この点では、スクールカーストはいじめを助長する人間関係とみなすことができる。実際に下位グループに属していた経験を持つ生徒の声が記載されていたが、グループ内では楽しかったもののグループ間での接触が起こる際には陰鬱になったようである。また上位グループに属する生徒は、優越感に浸る場合が多いようだが必ずしも幸せというわけではなくそのポジションにふさわしい振る舞いが求められるため窮屈さを感じていたという声が記載されていた。
しかし、スクールカーストは生徒が自主的に意図して形成しているものではない。「にぎやか」で「気が強く」「異性の評価が高い」生徒が自然と上位グループを形成していき、そうではない「地味」で「目立たない」生徒が自然と下位グループとみなされていく。これらは、生徒のキャラクターに依存するものであり生徒自身が変えようとして変えられるものではないことが直感的にもわかる。自然と形成されていくものにも関わらず、その人間関係は生徒にとって不快な環境を生みかねない上下関係となり、彼らの学生生活に大きく影響していくのである。
上述のように、スクールカーストそのものはいじめではなく、彼らの趣向や帰属意識により自動的に慶されていく人間関係である側面を持つので、教師はこれらを「いじめ」として対処することは非常に困難のように感じる。実際に不平等な仕事の押し付けがまかり通ったり、一方的にバカにする場面が見受けられるものの、下位に属する生徒が苦痛を感じていなければ、現状のいじめの定義では対処することができない。いじめの発生源であるとわかっていつつも、問題が起こるとは限らないし、生徒同士も無意識で完成させた人間関係であるために、教師が介在して対処していくことは不可能のように思われる。
興味深く感じたのが、教師から見たスクールカーストの映り方である。スクールカーストは生徒から見れば不愉快で固定的な上下関係であり、彼らの学生生活を考えれば危険な環境であるが、教師はこれらの関係を「コミュニケーション能力の現れ」と見なし、問題視していない、故に助長させてしまう側面を持つようである。上位グループに属している生徒は、教師にとって「にぎやかで活発な生徒」とみなされる場合が多く、また、彼らの意見は押し通ってしまうので一種のリーダシップ・カリスマ性・コミュニケーション能力と映る。そして彼らは自己主張が強く手がかかることから思い入れが強くなりがちで、教師からすれば「かわいい生徒」と映りやすく、優遇されてしまうケースが多いようだ。一方、下位グループは教室内において自己主張がなかなか許されないために、教師から見ると「よくわからない・何も考えていない・決断力のない生徒」とみなされてしまうことがあるという。彼らは立場上自己主張がしづらいために周りの意見に流されがちであり、それ故に教師は自己決定を避ける怠慢な生徒のように映ってしまうこともある。これらを踏まえた教師の言動はさらにスクールカーストを助長させていくことになる。
生徒にとっては「権力関係」、教師にとっては「能力の顕在化」とみなされるスクールカースト。これらの具体的な対策は未だ見つかっていないようである。しかしながら、教師はスクールカーストの存在を知り、きちんとその内情を考慮しなければならないだろう。
非常に興味深く拝見できる一冊でした。
鈴木翔『教室内カースト』光文社新書