本記事では、「主体性を伸ばす教育」をまとめたものであり、「生徒をマインドコントロールする」という趣旨ではないことを明記しておきます。
昨今の教育では、生徒に主体性(自主性・自立性)を育成することが求められている。一方で、主体性の逆は「服従」であり、その一例には、信じられないような監禁事件やテロを可能にしてしまう、マインドコントロールが挙げられます。
マインドコントロールは主体性を奪い、思いのままに操るという人権を大きく侵害した行為です。そんな恐ろしいマインドコントロールの原理は、実のところ、私たちの身の回りにありふれていて、いわゆる「説得力のある人」はその原理を知らない内に用いていることが多いようです。意識してうまく活用すれば、マインドコントロールは人を動かすための効果的な武器になります。が、マインドコントロールは無意識で用いられている場合も多々あり、私たちは気づかない内に生徒を洗脳し、主体性を奪い、彼らの価値観と一致しない行動を強制しているのかもしれません。
再掲しますが、本記事では「主体性はどのように奪われてしまうのか」という点に着目し、それを逆手に取ることで「どうすれば主体性を伸ばせるのか」を紹介します。あくまでも「主体性を伸ばす」のが目的であり、「生徒をマインドコントロールする」という趣旨ではないことを再度明記しておきます。
主体性を奪う要素1
情報量の欠如・過多
マインドコントロールするとはいえ、脳に直接操作を加えるわけではなく、その多くは与える情報を操作することによって行います。その情報のカギとなるのは情報量です。先に結論を述べると、与えられる情報量が「極端な量」になればマインドコントロールがかかりやすい状態に陥ります。極端な量について、少なすぎる場合と多すぎる場合について言及していきます
まずは極端に少すぎる場合です。具体的には監禁状態のような外界との関係を一切遮断した状態がこれに当たります。戦時中の情報操作が当たり前だった日本軍や、時より報道される痛ましい監禁事件などは、外部の情報を極端に制限することにより、与えられた唯一の情報のみを信じるようになります。一般的に見られる「勉強合宿」等は外部からの情報を遮断することで、「勉強することのみが正しい」という状態を作り上げ、生徒を勉強に集中させたりする、いわばマインドコントロールの一例となります。ただし、通常の学校において、生徒は外部と常につながっていることから、情報を制限することは困難です。
一方で、情報が多すぎる場合もマインドコントロールにかかりやすい状態に陥ります。これは、身の回りに情報が多すぎて、情報処理だけで精一杯になってしまい、主体的に判断することができない状態に陥ることから生じるというものです。現代はメディアの発達から、生徒はテレビやインターネットから無数の情報を浴び取捨選択できていないことが多く、このような場合、生徒は自身の行動の判断をできず、指示がないと何もできないパタンが増えいるようです。メディアだけではなく、親からの過保護や学校以外に塾に通うなども大きな要因を担っています。まとめると、現代は情報が錯綜し取捨選択が困難になり受動的にならざるを得ない、言い換えれば、マインドコントロールされやすい環境が整っているようです。
人間が最も主体的になる環境は「情報が少ない」場合です(「少なすぎる」とは区別しています)。少ない情報を取捨選択し、最善を考え行動する時、人間は最も主体的になる。長い説明よりも、少ない言葉で簡潔に済ませ、自分で考えさせることが主体性を育成させるためには重要です。
主体性を奪う要素2
疲労とストレス
通常、他人からマインドコントロールを受けようとすると、自分を守ろうとする判断が生じます。しかし、極度の疲労感や神経の衰弱を伴っている場合はマインドコントロールを受けやすい状態に陥ります。
人間を疲弊させる要因は多々ありますが、その一つに情報過多があります。1つ目の要素でもありましたが、多すぎる情報はそもそも主体的な判断を難しくするばかりでなく、疲弊させ主体的な判断を妨げてしまいます。押しの強い営業マンのマシンガントークは、客に対し主体的に考える余地を無くし、受動的な購入を促します。よって、「多すぎる情報」というのは極めて洗脳の力をもっているため、主体的な生徒を育成する上で情報を浴びせすぎることは極めて逆効果になります。
また、精神的なストレスを与える際に極めて有効な方法に「先の見通しを奪う・不穏な見通しを暗示する」ことが挙げられます。人間は予測不能な状態で強いストレスを感じます。一般的に、拷問は肉体的な苦痛以上に、いつ終わるかわからない隔離状態の影響が大きいそうです。未来に対する不安は強いストレスを生み、マインドコントロールに陥りやすい状態を作るようです。学校において、教師は生徒に対し「このままでいくと、君の未来は……」というフレーズを使いがちです。この手の常套句は、レベルの高い不安感と緊張を継続的に感じさせるという点では、極めて有効的なマインドコントロールの手法です。生徒を支配するには極めて有効な方法ではありますが、もしも主体性を育成したいのであれば、脅しじみた言い方を避け、「もっとやりたい」というところで止めて余力を残させることが重要なのかもしれません。
ブラック企業が成り立っているのも一種のマインドコントロールなのではないでしょうか。長時間の労働が通常になってしまい、慢性的な疲労感を常に覚える。過度の疲労感から、主体性が失われ、マインドコントロールに陥りやすくなる。そして、さらに厳しい労働を断れなくなり、会社をやめる気すら起こらない。そういった負の連鎖が日本企業には蔓延しているのかもしれません。
主体性を奪う要素3
救済の約束
要素1・2のは、あくまで精神的な抵抗力を奪う下準備にすぎませんでした。マインドコントロールの核心は要素3「救済の約束」にあります。特に、その救済が「信念に対する揺るぎない自信」と「誇大自己の万能感」を伴っていれば、窮地に立った人間にとって依存する他なくなってしまいます。また「救済の約束」はあくまで約束であり、実際に救うかどうかは大きな問題ではない点は、多くの宗教を見るに明らかです。
特に普遍的な問いは、「救済の約束」において絶大なる力を持ちます。例えば、「人は何のために生きるのか」。誰しもが明確な答えを持たないような問いに対して、世間の価値観の矛盾を指摘し、既存の価値観を暴き立てる—「後悔のないように生きるというが、死後、後悔を感じることはできるのか」。そこに揺らぎない信念と万能感を込めた答えを提示する—「最後の審判が存在するのである」。(私は宗教に疎く、この例に意味は全くありません…)
例は壮大になりすぎましたが、身近な例で言うと「このままでは大学に受からないかもしれないけど、勉強したらきっと合格できるよ」といった言葉はこれに該当します。強い自信をもって希望を約束されると、人は従ってしまう性質を持っています。しかし、要素3・4は単体では問題がなく、むしろ人をエンパワーする場合の基本的な要素です。後述する要素5と併用した際にマインドコントロールとしての側面が強く発生します。
主体性を奪う要素4
承認者に対する忠誠心(ラポール)
人間は群れで生活する社会的動物であり、強い承認欲求を持ちます。そのため、自分を認めてくれた人に対して忠誠を尽くすという習性を持っています。忠誠を尽くすとまでは言わなくても、基本的には裏切り行動を好みません。故に、相手に「認められた」と思わせれば、反発することはおろか、より承認してもらえるよう行動します。
この要素を考慮すれば、「主体性を育成する上で、教師が生徒を認めるような素振りは控えるべきである」という結論にいたりそうですが、上でも述べた通り要素3・4は単体では問題がなく、むしろ人をエンパワーする場合の基本的な要素であり、後述する要素5と併用した際に問題が発生します。
主体性を奪う要素5
自己決定の場面の欠如
要素3・4は、人間を教育する上でほぼ必須の要素なのかもしれません。マインドコントロールの場合は、上記の要素に加え、もう一つ大きな要素が関係しています。それは、自分で考え判断する場面を排除し、支配者の決定に従うという「自己決定の場面の欠如」です。
一般的に、カルトではメンターと呼ばれる先輩信者が、新入信者の相談役となり、些細なこともすべて指示を出すようになります。全ての意思決定を他者に一任する状況を作り、自己判断の余地を奪う。また、個人の持つ考えを尊重する場を一切設けない。このような環境を作ることでマインドコントロールが完成します。カルトのみならず、親に行動の多くを決定されるような子どもも、主体性の無さという点では同じなのかもしれません。
昨今の学校、特に生徒指導において「生徒に自己決定の場を与える」というフレーズが見られます。上記でも述べたように、昨今の社会の変化はマインドコントロールしやすい状態を作り上げています。そんな時代故に、仮に生徒がついてきていたとしても、生徒が自分で選択し行動を選択するような場面を設けなければ、それはマインドコントロールに過ぎないのかもしれません。自己決定の場は主体性の育成において必須の要素でしょう。
まとめ
クラスマネージメントと言ってもいろいろな形があります。本記事では、主体性を完全に奪い、服従するパタンであるマインドコントロールという視点から、改めて主体的な生徒の指導について、考えをまとめました。
前回の記事で「君主論」から「支配による教育」に関してまとめましたが、支配的な指導と聞くと直ぐに「生徒の主体性がなくなりそう」と考えがちですが、そのあり方は様々であり、上記の点を踏まえれば、主体性の育成も可能なクラスマネージメントが展開できそうです。
要素1「情報量」と要素2「ストレス」は、時代の変化とともに好ましくない状態になってきており、言い換えれば誰しもマインドコントロールに陥りやすい社会を迎えているのかもしれません。要素3「救済の約束」と要素4「忠誠心」は教師が影響力を持つ上で、非常に重要な要素だと思います。一方で、強い影響力には相当する責任が伴います。無意識の内に「救済の約束」をし、「忠誠心」を築くも、要素5「自己決定の場の欠如」に陥ってしまうと、それは教育という名のマインドコントロールなのかもしれません。その点に気をつけていく必要がありそうです。
参考文献 文藝春秋 『マインド・コントロール』 岡田尊司 著