「いい曲だから、聞いてみてよ!」と紹介され、ある曲を聞いてみました。その曲では執拗に「友情や愛さえあればいい、金なんていらない」と繰り返されていました。また「心が貧乏な金持ちにはなりたくない」的なフレーズも連呼されていました。正直、かなりの違和感を覚えました。初めは、「私の性格が良くないからかなぁ」と思っていましたが、明確な理由がいくつかありました。
そもそも説得力がない
まず一番の疑問点は「金はいらない」と歌っているそのアーティストは、多分そこそこ儲けていること。確認できませんが、おそらくある程度の金はもっています。その上で「金はいらない」と言っているわけです。だから、その立場を踏まえて、きちんと歌えば「ある程度の金はあった上で言わせてもらうけどさ、友情とか愛とか大切だよ」という感じが否めません。「俺の気持ちを歌ってくれてる!」と、お金がない人が鵜呑みにするのは勝手だとは思いますが、その人はお金を持ってます。「スピード違反は危険です、止まりなさい」と猛スピードで追いかけるパトカーぐらいの説得力です。説得力がありません。
愛と金は関係がない
次に、「愛・友情」と「金」がそもそも関係ないと思います。「金よりも愛」とかよく聞きますが、「金」があれば「愛・友情」を持つことができないのかと聞かれれば、別に関係ない気がします。「カレーとバレー、どっちが好き?」くらい関係ない気がします。確かに、金持ちも普通の人間です。中には性格が悪い、友達のいない人がいるのも不思議ではないです。が、それは「金」が原因ではなく、そもそもの性格が原因です。もし仮に「金があると、愛・友情が持てず、幸せになれない」というのであれば、ガンガン増税してしまいましょう。諸悪の根源である金は無くなり、みんなが幸せになるはずです。
もちろん、「お金があれば絶対に幸せになれる」なんてことを言うつもりはありません。お金があっても幸せを感じられない人は大勢いると思います。が、その多くは「お金があっても不幸」であり、決して「お金があるから不幸」ではないのではないでしょうか。正直、お金はたくさんあるに越したことはありません。
もちろん、「お金があれば絶対に幸せになれる」なんてことを言うつもりはありません。お金があっても幸せを感じられない人は大勢いると思います。が、その多くは「お金があっても不幸」であり、決して「お金があるから不幸」ではないのではないでしょうか。正直、お金はたくさんあるに越したことはありません。
まとめ
ここまでを総括すると、私がその曲を好きになる条件は以下の通りになります。
1 貧乏な路上シンガーが
2 『お金は別問題として。ひとまず愛や友情は大切だと思います』と歌う
これを想像した時、「あぁ、やっぱり曲調だな。」と思いました。結局、音楽の趣味なんて個人の勝手で、他人がとやかく言うのは野暮なことでしょう。粋でないことをして、反省しています。ちなみに、この記事を書くために20回くらい繰り返し聞き、少し好きになってしまっているのはないしょです。
この類のひねくれ方大好きやで。
返信削除「金がいらない」は大概金をある程度もってしまっている人か、悔し紛れで虚勢を張った人の苦言やろ。
ちょっと最近考えたお金の話きいてくれ。そんで意見聞かせて。
基本的に、「金と時間」はセットにして考えるべき。
金ってのは、その人がその人の時間を売って得た、価値を具現化したもの。例えば、おれが1ヶ月働いて得る20万が手元にあるとして、それを使ってバーバリーのスーツを
買うことも、貯金して安心感を得るということもできる。スーツを買っても安心を買っても、どちらにしろその人はよりしあわせに感じられる。
でも、ここで人がわすれがちなのは、その20万は「1ヶ月間」という時間を使って得た価値であるということ。言い換えれば、時間をお金に変えた。もっと言えば、「人生の1ヶ月間」を使って「バーバリーのスーツ」あるいは「安心感」を買った。すると買い物ってのはお金でするものじゃなくて、言ってしまえば人生の時間でするもの。
そして、買い物というのは常に「よりしあわせになること」という目的のもとおこなわれる。スーツを買うのも、大切な人に贈り物をするのも、貯金して安心を買うのも、あますことなくその目的は「幸福感の追求」に集約される。お金で幸福感を買うなら、今ほどの考え方を
適用すると幸福感は時間で買うもの。
ということは、人はもっと時間を大切にすべきじゃないか。ここで言ってるのは「マンガ読む暇あったら勉強しなさい」的なことでなく、「お金を稼ぐために要する時間」をもっと大切にすべきということ。これをもっとも大切にしている人こそ、よく理想とされる「自分の好きな仕事」をしている人(前のブログ記事と関わってくるかな笑)。金を得るおおもとの目的に則しているから。その次に、残業なしの高給取りの人。この人たちは、効率よく時間を使ってお金を獲得しているから。
、、、長くなったからこの辺にしとくけど、おれが1番強調したいところは、「時間で買い物してる感覚をもっと持ったほうがいいんじゃないかなあ」というところ。幸福感の得られる好きな仕事につくか、今の仕事にもっと幸福感を見出せるとすばらしいなあと思う。
結論:「わしは好きな歌手という仕事で生活してるからこの曲をきいて仕事がんばってるあんたよりしあわせなんじゃ。給料はあんたよりちょっとだけ少ないけど、しあわせなんじゃ」的な歌が的を射ているし社会風刺的で好き。
うむ、非常に説得力のある話だね。
削除少し話が逸れるけど、わしの持論を2つ紹介。
持論Ⅰ「若い時間>>>>>老いた時間」
わしは高校生のバイト、基本的に大反対です。貴重な高校という時代を最低賃金と交換するなんて考えられない。というのも、①高校生という立場を逆手に取り最低賃金でいいように使われる ②勉強しなければますます低賃金地獄から逃れられなくなる結果になる ③そこで得られる社会勉強なんざ大学や社会で嫌でも学ぶ ④何より高校時代にしっかりと遊んどかなきゃ本格的に仕事を始めた時も、遊び方・楽しみ方・生き方がわからない大人になる。
バイトしている生徒に対して、よく耳にする「今やるべきことは何か考えろ」。そんな言葉足らずで月並みな説教で納得するわけないのは承知の上で、それでもあえて言わせてもらえるならば「別に今バイトしたけりゃ100時間でも200時間でもしたっていいけれど、そんなはした金、勉強してりゃ将来20時間で回収できるわけだから、死ぬほど金が今欲しいなら親にしっかり説明したうえで借金して遊べば?」。特に、弟の所得を見ていて痛切に感じるかな。一度仕事を始めてしまえば、その賃金を上げるのは至難の業。転職しようも、それは在学中の比にならないぐらいエネルギーを使う。それなら、楽なうちに手を打って欲しい。正直、高校生が勉強を24時間やるわけないから、他の人より少し勉強できりゃ、あとはしっかり遊べばいい。というか、つまらない人間にならないように、最低限の勉強だけして、しっかりと遊んでほしい。ただし、時間を金に換えるなら、借金してでも後回しにしてほしい、そんなのは後で嫌なほどさせられるわけだから。というわけで、バイトは反対。確かに「時間=金」なんだけど、「若い時間>>>>>老いた時間」だから。
持論Ⅱ「金の使い方は家庭環境で決まる」
人によって、幸せになるために必要な金はかなり違う。その差はほとんど、家庭環境にあると思う。幼いころからいいものを食べさせてもらった、服のセンスもよくいいものがきちんとわかる、いろんなところに旅行に行った、という家庭環境で育った子どもが「幸せな大人」になろうとしたときは、それなりに稼いでいないと幸福を感じられない。一方で、外食は贅沢すぎて落ち着けない、服は嘘みたいな英語が並んでるのを着ててもカッコいいと思う、近所の銭湯に喜んで行ける、的な家庭環境で育った子どもだと、幸せになるのにそんなにお金は必要ない。で、基本的に周りと比較さえしなければ、幸せなんて主観的なものだから、上下はない。というかむしろ、金銭的に超省エネな人ほど幸せになりやすい。だから、「お金がないと不幸になるよ」と言ったときの『お金がない』は、割と幅があるから、故に他人に説教されてもピンとこないのかな、と思う。
ただし、そんなの、理屈はわかるけど、具体的にいくらかわからない。しかも少ないと不幸を感じる一方で、多すぎて不幸は感じることはない。だから、とりあえず多く稼げるようになろうよ、高い賃金もらおうよ。そのためには、たくさんお金を払いたくなるようなスキルを磨いたり、自分の価値を高めようよ。てっとり早くいい大学行こうよ。
ちなみに、わしが教員やってるのは、家庭環境を考えれば教員で十分幸せになれる程度の金は手に入るかなと思っていたのだけれども、実際なってみると、もう少しお金は欲しいなと思うもので、人間って底なしの欲の塊なのかなぁとしみじみ思います。
本題に戻るけど、わし自身、どこかしらで「時間→金」という考え方は持っているんだけど、わしの考え方の根底には「若い時間>>>>>老いた時間」という価値観も組み込まれてるのかなぁと。ただ、「時間で金を生み出す」のは頭にはあったけど、「金は時間の代償として得ている」という発想はあまりしていなかった。うむ。