クラスマネージメントは重要
「クラスマネージメント」という言葉を最近身の回りで聞く機会が多く、多くの教師はこれについて非常に悩むことが多いようです。さらに、新米教師には特に重要らしいです。「クラスマネージメント」と聞くと難しそうな響きがしますが、かしこまった言い方を避ければ、生徒との接し方は教師には必須のスキルである。非常にスッと入ってきます。
「権力によるクラスマネージメント」?
さて、「クラスマネージメント」を言葉通りに「クラスを教師が思うがままに管理する」という意味で捉えたとします。確かに生徒を思うがままに従えることができれば、「うまくいった」と言えるのかもしれません。言い換えれば、教師は教室内を支配する権力を獲得する必要がある。
私には教養があまり無い上に厨二病を引きずっているため、権力と聞くと第一に暴君をイメージしてしまいます。さらに「絶大なる支配力を持つ王は良いクラスマネージメントが可能なのかな?」という妄想に更けました。そんな時に頭に浮かんだのが「マキャベリ」が書いた「君主論」でした。簡単に言えば、「君主とはどうあるべきか」というテーマをまとめた古典です。王のあるべき姿を書いた本。厨二心をくすぐります。ただし、非常に難解そうなので、今回は極めて入門書である架神恭介著「よいこの君主論」という新書を元に、「絶大的な支配力を維持するためのクラスマネージメント」について考えていきたいと思います。
私には教養があまり無い上に厨二病を引きずっているため、権力と聞くと第一に暴君をイメージしてしまいます。さらに「絶大なる支配力を持つ王は良いクラスマネージメントが可能なのかな?」という妄想に更けました。そんな時に頭に浮かんだのが「マキャベリ」が書いた「君主論」でした。簡単に言えば、「君主とはどうあるべきか」というテーマをまとめた古典です。王のあるべき姿を書いた本。厨二心をくすぐります。ただし、非常に難解そうなので、今回は極めて入門書である架神恭介著「よいこの君主論」という新書を元に、「絶大的な支配力を維持するためのクラスマネージメント」について考えていきたいと思います。
マキャベリについて
「君主論」について
歴史上の様々な君主および君主国を分析し、君主とはどうあるものか、君主として権力を獲得し、また保持し続けるにはどのような力量(徳、ヴィルトゥ)が必要かなどを論じている。その政治思想から現実主義の古典として位置づけられる。
「前の先生と同じやり方」が最も楽な道である
マキャベリによれば、君主として国を統治するのに最も簡単な方法は世襲だそうです。人間の本質は「反対は激しく、賛同は弱い」。変化をもたらすと、以前の体制で良い立場にいた人の地位が危ぶまれる一方で、変化によってもたらされる新しいメリットに対しては猜疑心が働く。よって、最も変化が少ない世襲制が最も簡単な支配形態なのです。
教室に置き換えましょう。大衆を生徒に置き換えると、やはり生徒に変化を与えることは彼らのストレスになりかねないでしょう。実際、教室内において少し変わった活動を取り入れようとすると抵抗感を覚える生徒を見かけます。さらに、例えば私が生徒だったとしても、担任の先生がいきなり「どの授業の冒頭にも座禅を取り入れよう!」と言いだせば、例え何らかの意図があったとしても第一に「いや、意味不明だし」と不満を持つに違いありません。誰しも、良かろうが悪かろうが、関係なしに、人は変化に対して抵抗を覚えます。
故にクラスマネージメントをする上で最も楽な方法は「世襲制」、言い換えれば「前の先生のやり方に倣う」ことです。ただし「楽=良い」ではないことを留意しておく必要がありそうです。
「愛される」より「怖がられる」
マキャベリの君主論の特徴は、政体を守ることを最優先に考えるため、本質的に道徳との結びつきを考慮していないことです。そして、道徳から切り離して良し悪しを考えることから、支配することに求められる本質をまとめています。
道徳から切り離された視点故に、マキャベリは「人を繋ぎ止めるには、恩愛よりも恐怖をもってすべき」と言っています。言い換えれば、「慕われるよりも、怖れられていた方が遥かに支配しやすい」。人間は常に自身の利益を追い求める生き物である。故に、恩愛で支配しようとした際には、それ以上の利益が得られる道があれば流されてしまうことは容易である。一方で、恐怖での支配は四六時中、恐怖がつきまとうため裏切りを防ぐのに有効である。よって、君主は冷酷であることが求められるそうです。ただし、留意しておきたいのは「怖れられること」と「恨まれること」は区別する必要があることとも言及していることです。恨みは平民の財産や婦子女を奪うことで生じる、それさえしなければ恨みを買うことはない。
教室に置き換えると、「クラスマネージメントを行う際には、慕われるよりも怖れられている方が支配しやすい」。道徳的に考えれば、あまり良くない発想に思えますが、支配の本質から考えれば、確かに恐怖に勝る資質は存在しないのかもしれません。そもそも、「慕われる」というのは結果に過ぎず、初めからそのような存在にはなれません。慕われるために具体的にどのようなことをすればいいのかパッと浮かばない上に、献身的に行動してもそれがどのように捉えられるかは最終的に受け手次第なのです。一方で「怖れられる」ことは具体的な行動が明確であり、なおかつ支配する上では「慕われる」のよりも有効である。やはり、恐怖をもってクラスマネージメントを行うのは楽な方法なのでしょう。
恐怖をもって、というと極悪非道な発想だと思われるかもしれませんが、マキャベリは「極悪非道」について2つのパターンがあるとしています。1つは「良い極悪非道」。これは敵の領地を支配し政権を奪い取るために当初に行う極悪非道。ポイントは初めにまとめて行うこと。一方で「悪い極悪非道」とは、継続的に繰り返される加害行為。市民が安心して生活できず、歪みを生じさせると言及しています。よって、生徒に恐怖を感じさせる際には、初めにまとめて指導することが重要なのでしょう。とはいえ、後述しますが、恐怖と恨みは区別する必要があるとも言及されています。恐怖を覚えさせるために理不尽な指導を行えば、それは恐怖ではなく恨みを買ってしまうので、しっかりと注意を払わないといけません。
人望を得る
マキャベリによれば、君主が民衆から人望を得ることは、君主自身の地位と安全を保つために必要なことであるそうです。君主が怖れることは外部からの攻撃でも、内部の腐敗でもなく、市民の反乱です。市民を支配できてさえいれば、外部の攻撃に備えることもできますし、腐敗も正すことができます。ただし、市民が団結しクーデターを起こされれば、君主の立場は無に帰すことになります。市民のクーデターを防ぐには、恐怖心を覚えさせることも大切ですが、何よりも人望が大切です。
教室でも似たようなことが当てはまります。—教師が生徒から人望を得ることは、教師の立場を保つために必要である。確かに、実際には同じような指導を行っていても、生徒から反発を受けやすい教師と受けにくい教師がいると思います。そして、反発を受けにくい教師というのは、一概に「優しい」とか「怖い」というわけではなく、「人望のある教師」なのではないでしょうか。
では、君主が人望を勝ち取るためにはどうすればいいのでしょうか。マキャベリはこの点に関して「軽蔑」と「憎悪」から逃れることを強調しています。それぞれのポイントは以下のとおりです。
・ 軽蔑を逃れるには、軽薄で優柔不断で無気力な態度を見せてはいけない。
軽蔑に関しては、(1)薄っぺらさを見せてはならない(2)決断力の無さを見せてはいけない(3)やる気の無さを見せてはいけない という3点に分けられると思います。これは君主ならず、教師にも共通するのではないでしょうか。
・ 憎悪を逃れるには、配下や民衆の財産、婦子女を奪ってはいけない。
憎悪に関しては、君主と教師では少し一致しないかもしれません。ただし、教師という立場では、生徒の財産を奪うことはなくても、教室での立ち位置・メンツを揺るがすことはできます。前章で軽く触れましたが、マキャベリの曰く「恐怖をもって支配することは有効であるが、一方で恨みを買うことは避けなければならない」そうです。生徒の立ち位置を揺るがすような脅し方は恨みを買います。示しをつけるために特定の生徒の立場を揺るがすような説教は逆効果なのかもしれません。
さらに、マキャベリは憎悪の回避方法として2つのテクニックを紹介しています。1つは「憎まれ役を他に押し付けて、権力者を抑制し民衆を保護する」。生徒指導部に憎まれ役を投げるとうまくクラスマネージメントできるのかもしれません、最終手段だとは思いますが。もう1つは「大きな腐敗を正すことができなければ、自らもその腐敗に身を染める」。学校では校則違反を暗黙の了解として認めるなどが該当しますが、これも最終手段でしょう。恐怖と憎悪の違いは難しいのですが、権利を奪うかどうかが鍵なのかもしれません。
「権力によらないクラスマネージメント」?
ここまでは「君主として支配するかのようなクラスマネージメント」を紹介してきましたが、本音としては私のスタンスとは一致しません。どちらかといえば、私は「アドラー心理学」に基づいた指導のスタンスの方が合っていると感じています。昨年、簡単にまとめましたのでそちらも是非ともご覧になっていただければ幸いです。
まとめ
クラスマネージメントを支配という構造で捉えると、やはり先人の知恵ほど役に立つものはないと思います。社会は常に支配と服従の中で発展してきたからです。この記事でまとめたようなポイントを押さえれば、教室を管理できるのかもしれません。ただし、上記で軽く触れた通り、私自身は現段階では、クラスマネージメントを支配関係と捉えたくないと思っています。ただし、教師のスタイルとしては伝統的で有用性の高い一つの答えであると思うので、知識としては持っておきたいと思い、まとめました。いずれ時間があれば、私の信念に近いアドラー心理学との対比をまとめてみたいと思います。
参考文献
ちくま文庫 『よいこの君主論』 架神恭介 辰巳一世 著
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