前回に引き続き、Tim McNamara 『Language Testing』をまとめていきます。今回は2章です。
「テストで何を図ればいいのだろう?」と、改めて考えなおすと、難しかったりします。もし、自分が言語テストを作成する機会があれば、何を測定して、その子の言語運用能力を保証してあげるでしょうか。
テストを作成する上で、「測定する能力をどう捉えているか」は非常に重要です。今回は、言語運用能力の捉え方とともに変化してきた、テスト形式の変遷を紹介します。
2. Communication and the design of language tests
テストを作成する上で、「測定される能力がどのように構成されているか」は重要です。このような、テストを構成する概念をtest constructといいます。元々、この用語は、心理学で使われていましたが、今ではテスティングを考える上で、欠かせない考えとなっています。
測定する対象の捉え方が変われば、その測定方法も伴って変化するように、英語の能力の捉え方が変われば、テストの形式も伴って変化します。
この章では、過去の言語運用能力の捉え方とともに変化した、テストの形式の変遷を具体的に紹介する中で、テストを作成する上で、このtest constructの重要性を確認していきます。
discrete point test
1960年代のテストの形式は、構造主義言語学に強く影響されていたようです。1961年にRobert Ladoによって出版されたLanguage Testingによると、当時の言語テストでは、学習者の能力を「文法に関する知識」、「語彙に関する知識」、「発音」の3つの要素とし、それらを個別に評価していたことがわかります。言い換えれば、『言語運用は、「文法」を知ってて、「語彙」も知ってて、「発音」が上手ければ、OK。この3つを測定すると、どれだけ上手に言語を使えるかわかる!』という発想がありました。そのため、基本的にテストでは、独立した短文の中で、それぞれの知識が問われたため、多肢選択式問題が多用されていました。つまり、文法問題と語彙問題を絡めて出題する、ということは考えられず、短文の中で、各要素を別々に測定していました。この場合、多肢選択式問題が非常に都合がいいので、多用されていました。
このような「能力の要素を分けて、それぞれを測定すれば、きちんとした運用能力が測定される」という発想のもとにテストを行うことを discrete point testing と呼びます。
その後、上記のような能力を完全に分離して考えるのではなく、より統合された能力を測定しなければいけないと気づいたテスト製作者が現れ、新しいテストを考案します。彼らの新しいテストでは、「文法」と「語彙」と「発音」等ではなく、より統合された能力としてspeaking、listening、writing、readingという四技能という観点で評価すべきだと考えました。そして、彼らによって考案された四技能を測定し、言語運用と評価するテストを行うことを skills testing と呼びます。
統合した能力とはいえ、リスニング、スピーキング、レーディング、ライティングの四技能は、個別の能力として評価されていました。
現在でも、これらのdiscrete point testやskills testの考え方が、テスト形式に強く影響しています。
integrative and pragmatic test
従来のdiscrete point testが栄えていた一方で、アメリカ・イギリスに留学希望者が増えるようになると、より実際に運用・生成できる言語能力を評価する必要性が生まれました。そのため、能力の測定を別々に分けて測定するdiscrete point testとは異なり、より統合された能力を測定する必要が生まれました。以前では個別に測定されていた能力を、より統合した形で測定するテストである integrative test が盛んになります。
従来の discrete point test では能力を個別に評価するため、できるだけ短文で、文法・語彙の問いが混在しないような多肢選択式のテストが多用されていました。それに対し、このintegrative testでは、これらの知識が統合された形で産出されたものを評価するべく、オーラルインタビューやライティングテストが中心に用いられました。
しかしながら、言語運用がかなり熟達したものでないと採点できず、実施が困難であるという大きな問題を抱えていました。
そんな1970年代、John Ollerはテストにおいて新しい観点を提言しました。
彼は、まず、言語使用の2つの特徴を述べています。
(1) the on-line processing of language in real time
(瞬時にやりとりを行うこと)
(2) a 'pragmatic mapping' component
(言語に関する体系的な知識を、文脈にあった理解や表現に引き出す能力)
この特徴を述べた上で、言語運用を測定するテストには、従来のdiscrete point testには含まれない、この2つの特徴を加えないといけない、と主張しました。
この主張を行った上で、(彼はpragmatic testと呼んでいたが、)パフォーマンステストで測定される言語運用は、学習者の中にある様々な知識(文法・語彙・文脈・プラグマにおける知識)の統合であるという仮説( Unitary Competence Hypothesis )を主張した。つまり、パフォーマンステストで見られる言語運用は、学習者内の個別の能力による言語運用ではなく、学習者内の様々な知識が引き出され、その場の文脈や状況を読み取る力があってこその、統合された能力による産出である、という仮説である。
また、彼はクローズテスト(cloze test)に代表されるような、有用性が高い上で、簡単に実行出来るテストを開発した。
cloze testとは、400字くらいで構成される長文を用いるテストである。
はじめの2文を導入文とし、それ以降の文に関して、6-8単語ごとに空白を作り、受験者にその穴埋めをさせるテストである。
文を正しく構成するための穴埋めには、文法や語彙などの様々な知識だけでなく、その場の文脈や場面を読み取る能力が求められるため、統合された言語運用が測定できるというテストである。このテストは、簡単に実行できる上に、「コストの高いパフォーマンステスト」に似た結果が出せることがわかっている。
(しかしながら、ほとんどの問題が文法・語彙に関する問題となってしまい、discrete testと似ている面を持つ。)
Communicative language test
また、1970年代から、Hymesのコミュニケーション能力の研究が、言語の指導やテストにも影響を与えました。
Hymesは社会的な側面から言語使用を捉え、文法を知るだけでは言語そのものを知ったことにならないとみなし、文化的な側面にまで、コミュニケーション能力の定義を広げました。
このHymesの研究が指導やテストにまで応用されるのには時間がかかりましたが、この研究をきっかけにCommunicative language testが生まれます。
このCommunicative language testには2つの特徴があります。
1. 受験者は、パフォーマンステストの中で、コミュニケーションを行い、産出と受容の両面において評価される
2. 受験者は、実際のコミュニケーションで想定される社会的役割まで評価される
特に2つ目の特徴が、これまでの心理学での言語運用の観点から、社会学での観点のテストとして、大きく異なります。
従来の心理学を基盤とした言語運用能力テストでは、常に学習者の内部に焦点を置き、評価されてきました。それに対して、Hymesの研究をきっかけに、社会学の観点が盛り込まれた結果、このCommunicative language testでは、学習者の言語運用の評価は、外部との繋がりにまで焦点が及ぶようになりました。
この流れで、新たなjob analysisというテストが広く用いられるようになりました。このテストでは、ある特定の業界での使用環境において、実際に起こりそうな場面を想定し、その際の言語運用を評価する、というものです。
例えば、オーストラリアの医療用の(第二言語としての)英語試験では、実際に病院内で想定される場面を想定した場面が組まれ、患者や同僚とのコミュニケーションが評価対象とされます。
このjob analysisというテストでは、各業界において、頻繁・重要な場面を事前に調べ、その場面での言語運用を特定しておかなくてはなりません。
このHymesのコミュニケーション能力の定義の後、この定義は様々な形で広がっていきます。そして、そのコミュニケーション能力の変化で、テストが測定しようとする能力も変化していきます。
つまり、テストを作成する上で、言語運用がどのような能力によって行われているか、という考えは極めて重要であることがわかります。
このようなtest constructは、テスト作成の根幹を築いていることには、テストをデザインする上で、最新の注意を払わなければなりません。
次回は 3章 The Testing cycle をまとめます。
学習者の内部だけに焦点を当てた心理学的な評価方法は確かに有用性が低いと思います。それならば、discourse communityを絞ったテスト(例えばオーストラリアの例)を行うのが良いと考えるのは当然かと思います。
返信削除しかし学校教育は公の場なので、「みんなが最低これくらいできてたらいい」という風な見方でやっていく必要があるります。だから「オーストらリアの医者の面接」に絞ってとか、「企業の交渉の場」に絞って、などよりも、「買い物に行く場面」などにどうしてもなってしまいます。それで「そんな薄っぺらいことして何になる」「日本にいても使わねえよ」となってしまいます。なんせ需要がないですから「何で今身につけなければならないか」がわかりません。生徒のモチベーションも高まらないですよね。
そう考えると、今のコミュニケーションといって場面シラバスのような方法で指導しても、どうしてもやる気が出ない。となると、もっとキソ部分の、個別の能力(文法、発音、語彙、文章構成能力など)をつけてやるのが、結局大切なことなのかなあと思ってしまいます。これは気をつけないと文法訳読式だけ、の授業に戻ってしまいますが。
その点には配慮して、でもしっかりとキソの部分を教えることが大切でないかと、(つまり全員がペラペラとしゃべれるようにする前にそういう指導が大切ではないか、と)考えるのですが、これに関してキチカワさんの意見をお聞きしたいです。すみませんお手数ですが、よろしくお願いします。
これは、読んできた本の内容に沿っていません。単なる自分の考えであることを先に明言しておきます。私の考えでは、生徒に英語を「使えるようにさせる」というのは最終目標ですが、「使える」という形は多様です。故に、最終目標は生徒に合わせるべきであると考えます。
削除その「使う」ということが「英会話」を指すのか、「受験」を指すのか。それとも「留学で不自由を感じないレベル」なのか、留学先で出会った他の国からの留学生を口説けるほどの流暢さなのかは、一概には言えません。同じ教室の中でも、言えないと思います。
目標の多様性を踏まえた上で、私が(特に塾ですが)教室の中で大切にしたいと考える教育目標の3本柱は「言語についての姿勢を変える」「英語を学ぶことで達成感を得る」「英語に関する語順を定着させ、英語を運用するための素地(骨組み)を築く」ことです。3つ目の素地を築くことに関しては、Shunyaさんの意見と同感です。特に私は、語順が重要であると考えていますが。ただ、この目標だけでは、正直なところ、東進衛星予備校のような授業形式があればいい、と思ってしまいます。(最近では、リクルートから、月額1,000円程度で受講可能になったようです。質の高い“講義”なら、安価で手に入る時代なのかもしれませんね。)そことの差別化で考えるのは、前者の2つの柱「言語に対する姿勢を変える」とか「達成感を得る」とかになります。両方共、指導要領にはあまりない観点かもしれませんが、重要ではないでしょうか。