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2024年7月21日日曜日

2023年度(勤務校2校目(2020-2023))の振り返り

転勤に伴う引き継ぎに追われてしまったので遅れてしまいましたが、1年間での気づきや振り返りをまとめてみます。 


2023年度の主な変化

  • 総務主任として運営会議に参加 規模の小さい学校で勤務しているため、教員の構成次第では様々な仕事が回ってくる。赴任4年目、33歳の私に総務主任が回ってきた。

  • 1年生の副担任 赴任して4年目、一度も担任を持たぬままの状況は変わらなかったが、副担任としてクラスに近い位置で生徒と関われることに改めて良さを感じます。(離任を惜しんでもらえるのはやはり華々しい)

  • 職場の若手増加 ちょっと偉くなったと勘違い。

  • 授業数が一般教員並に 2022年度は中高連携の関係で、校内での授業が異常に少なかったものの、やっと標準授業コマ数を担当することができ、「ああ、こういう仕事だったなぁ」としみじみ感じます。


以下では、2023年度、というか、前任校で経験したことをある程度整理してまとめます。

2023年の整理

I'm a 勘違いクソ野郎

 私は生来、うぬぼれの強い、自尊感情オバケで、勘違いクソ野郎なわけです。  小規模の学校に勤務していると、人材の層が薄く人手が足りないがゆえに、自然と多くの仕事を振られます。学校で1名選出しなければいけない研修会では何となく順番が回ってきやすく、しぶしぶ参加すれば各校から集められたベテランの中にポツンと交じり、「若いのに凄いね」的な言葉をかけられ。この環境で働くうちに、ついつい自分が偉くなったと勘違いするわけです。  もちろん、機会が回ってきやすい環境には、利点もたくさんあります。運営会議に参加するようになり、学校全体がどのような外部と内部の圧力で動いているのかを実感する機会を得ました。「なんでそんな動きになるのだろう」という疑問も、実情を知れば知るほど「そうせざるを得ないのか」と合点がいくことも多かったです。また、新しい取り組みを提案し、それが上手くいったり失敗したりする過程から多くを学びました。仕事のビルドアンドスクラップを行える自由度が大きく、自分の裁量が増え、意外と楽しいことも多かったと思います。一方で、自分が何でもできるという錯覚に陥る訳です。  自由裁量で好き勝手やっていると、視野が狭くなり、自分以外の方法に対しての理解が浅くなります。そして、残念な私の頭では「みんな、無駄が多いなぁ」なんて的外れな感想を抱きます。恐らく色んなところで醜態を晒しているのでしょうが、個人的に最悪なのが年下の同僚との飲み会。イキり散らかすわけです。少し冷静になった帰路で、偉そうに説教している自分に落胆します。そもそも担任経験が一度しかない私の偉そうな発言が、果たしてどれだけのものなのか疑問です。時に、自分の得意ではない領域にまで口を出し易くなり、ついズカズカと説教を垂れてしまうこともありました。  謙虚に生きねばと反省するも、お酒が入ったら(時に酒も不要ですが)すっかり忘れてのぼせ上り、再び厚顔無恥に偉そうな振る舞いをし、帰路で反省を繰り返すのでしょう。本当に厄介な性格です。


 恐らく振り返りを公開しているのも、恐らく謙虚さの欠如や自尊心の賜物なのだと思います。本当に反省をした日には、過去の投稿をすべて消すのかもしれませんね。


余白の美学

 20代の頃は職員室で最後の一人になるまでセカセカ働き、学校の施錠をしてイソイソ帰る生活を送っていました。仕事も9年目に入る頃、世の中は大きく変わり、「残業時間が多いとカウンセリングを受診しなさい、嫌ならば(記録上の)勤務時間を減らしなさい。」というヤバい風潮が陰りを見せています。さすがに勤務時間の改ざんを続けていると、不思議と人間は仕事の方を減らすようになるようです。私の勤労観も変わり、20代では「何ができたか」を重視していたのに、30代に入ると「どう進められたか」も重要だと考えるようになりました。授業外の個別指導で成績を上げるより、一斉授業でまとめて成績を上げられられるようになりたいと思うようになりました。また、22時まで準備するより、定時で同じパフォーマンスを発揮できたら素敵やん、と思うようになりました。  何となく意識するようになったのが、「やった方がいいこと」から「やらないといけない要素」を取り出す。例えば、提出物の添削は、必要なポイントを、響きそうな生徒に、ピンポイントで。評価はかかる時間ができるだけ短く済むような工夫で。  皮肉なもので、自転車操業的に仕事をしているときは、仕事の進め方に無駄が多いもので。スケジュールに余白ができると、方法のブラッシュアップに時間を割くことができ、新たな改善点やアイデアが生み出されることも少なくありませんでした。余裕がないと、余裕を生み出せない泥沼にハマるというか。(もちろん、これはたまたま仕事が少ないときに余裕をぶっこいているだけの勘違い発言で、「アリとキリギリス」のキリギリスの側の体の良い戯言なのかもしれませんが)


 空いた時間を部活動で生徒と過ごす、生徒との接点を増やす、逆説的に「やらなくてもいいこと」ができるようになりました。(これらが「やらなくてもいい」と判断せざるを得ないくらいやることが多いのは何とかしてほしいものですが、、、)  スマートに、でも生徒とキャッキャしながら働きたいものです。


掴め!生徒観

 この4月の転勤直後、生徒たちの「勉強しないとヤバい」という空気感に、前任校との差に戸惑いを隠せませんでした。

 「偉そうげ。生徒を何だと思っているんだ」思い返せば、前任校での転勤一年目、授業アンケートでこんな手痛い一言をもらいました。その学校では、人気のある(信頼されている)先生は、生徒から「〇〇さん!」と、「さん」付けで呼ばれていたのが印象的でした。先生というキャラよりも、「話のわかる大人」としてのスタンスが求められているようで。生徒たちにとって頼りになる存在でありながら、距離を感じさせない大人になることが必要でした。月並みな気づきなのですが、「生徒観察、生徒理解、望むことを感じ取り、それに応じて振る舞うのが大切だぁと思っていました。  教員という仕事故に、「言うべきだから言う」のスタンスを貫くことはストレスです。割りと常套句の「今はわからないかもしれないけど、、、」と言える先生を見て、半端ないなと思います。私は半端ものなので、まず生徒から嫌われたくないので、「言わなければならないこと」を「今はわからないかもしれないが」とか「言われたくないと思うけど」という形ではなく、今のその生徒に受け入れられる形で伝えないといけないのでは、と考えます。そのためには、世でいう「信頼関係」とかそういう小難しいものではなく、求められているキャラクターやスタンスに寄せていく方がよっぽど楽なのでは、と思うのです。前任校では、きちっとした先生より、話の分かる大人として接していくほうが双方に利があったように思います。あくまで、キャラクターであり、別に信念の根っこから変える必要はないと思う訳で、、、

 兎角、偉そうに綴っている今の私は、そのチューニングができていないと感じています。新しい環境で、不協和音で、、不適切な、さらには不謹慎な言動に陥っていることでしょう。きっと、近い将来、授業アンケートで「あいつは勘違いしている」的なことを書かれるのかもしれません。早くこの状態から脱却すべく、彼らの求めていることを理解する必要があります。34歳、今までの最大の武器であった「若さ」に錆が見えてきました。ニーズに応えていかねばと感じています。



田舎の闇

 「受験をやめてくれてよかった」。卒業式後、保護者とたまたま立ち話をしたときに言われ、衝撃を受けました。勤務して4年目、いわゆる「田舎のニーズ」は頭では理解していたつもりでしたが、直面すると予想以上に複雑な気持ちになりました。

 小さな頃から郷土愛を刷り込まれて育った子供たち。小学生の頃から「地域調べ」に始まり「地域貢献」に駆り出され「地域の課題」を学ぶ。「生涯、地元を離れない」と進路を決める材料は、真面目な生徒には十分すぎるほど揃っています。しかし、実態として、その地域には待遇の良い就労環境が整っていないのです!さらに、先送りされ続けた地域の課題を押しつけられる訳です!今までは「地域貢献したい」という生徒を見て「ええ子やん」と純粋に思えたのですが、知れば知るほど「目を醒ませ!」と思うようになりました。「難解な地域の課題を解決できる能力があるなら、都会で挑戦しやすい環境の方がもっと恩恵を受けられるじゃないか!」という葛藤が駆け巡ります。この町から若者を出したくない、むしろ地元で面倒を見てくれる若者がほしいというのが地域の切実な願いな気がして、複雑な気持ちでした。  実際、これまでも学力の高い層はその町を離れていきましたが、町の人口が多いうちは大きな問題とは認識されていなかったのでしょう。人口が減ってきて、いよいよ突然、その去っていく層が惜しまれるようになり、「そこを逃さない学校」の存在が求められることとなったのかなぁと感じていました。  しかし、「学力を求めてこなかった学校」が「多様な進路選択を実現できる学校」に変わるのは難題です。「就職」「進学」どちらかだけでも難しいのに、それらの両立させ、特化した組織に打ち勝とうとしているわけです。不必要な不和が生じ、全体の満足度も下がります。この中途半端な状況が結局、良い生徒を排斥してしまう結果を招いているように感じていました。  私はたまたま初任校の頃から「生徒募集」に携わることが多く、どことなく営業向きの性格を活かし、わかりやすい成果や反響を得ることに満足してきました。効果的な生徒募集によって、いわゆる「質が高い生徒」が集まれば、学校は生徒を選べる立場になるわけですし、結果として生徒指導も教科指導もスムーズになるというメリットも実感しました。しかし、冷静に考え直してみると、生徒募集で行っていることは「良い生徒」を他所から引っ張り込んでいるだけで、生徒を伸ばしているわけではありません。たらればの話をしても仕方がないのですが、他所から連れてきたエースは、実はもっと上の世界に引き上げられていたかもしれない。そして、入試で落とした生徒は、他の学校で他の先生が手を焼くだけなのかもしれません。
 「生徒募集を頑張ってほしい」と言われることも多かったですが、根っこの部分で教育活動ではなく、学校が注力すべき業務ではないように感じています。ただ、所属の学校をわかりやすく良くする一撃のドーピングとして生徒募集は有効です。部活にも、進学実績にも、始めから凄い子がいるに越したことはないのです。ジレンマを感じながら、この手の仕事を続けるのかなぁと感じています。


 書くの疲れました。今年度も頑張ります。

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