第二言語習得に関する研究を行う際に、実験のデータを収集することはしばしば見られる。直接観察することが出来ない、人間の頭の中の仕組みを解読していく際に、観察可能なことは何なのだろうか。そのデータ収集に関してまとめる。
(というか、個人的に参加しているSLA 研究法勉強会では、『詳説 第二言語習得研究法 理論から研究方法まで』を読み進めている。第8章 第二言語習得でのデータ収集方法 を担当になり、レジュメを作成したので、それを元にその内容を紹介する。)
8.1 & 8.3 データ収集の意義(pp.201) と まとめ(pp.236)
第二言語習得という研究領域では人間の頭の中の仕組みを対象に研究を行う。その研究のためには、第二言語習得の仕組みを推測・記述するデータの収集方法が必要である。しかしながら、研究対象となる第二言語の知識とシステムは脳内にあるため直接観察できない。言い換えれば、我々が観察できるのは、学習者の言語的な振る舞いとその結果に限られるのである。観察可能である言語活動に関するデータ収集方法は、その研究が解き明かす目的や対象に応じ、多種多様である。研究者はデータ収集を行う前に、それぞれのデータ収集法の特性を踏まえ、適切な方法を自分自身で試行錯誤しなければならない。
データ収集における基礎知識
以下では、言語活動のデータを収集する上で押さえなければならない基礎知識を紹介する。
8.1.1 縦断的研究と横断的研究(pp.201)
Ø データ収集する際は、被験者や収集する期間を考える
データ収集する際には、被験者とその期間を考えなければならない。可能であれば、調査の対象となる人数は最大であり、観察に渡る期間は最長であることが望ましいが、現実問題不可能である。そのため、観察は縦断的研究か横断的研究に絞られることが多い。
縦断的研究 … 個人の被験者に注目し、長期間に渡り、観察を行う
例. 数名の生徒を対象に英会話で用いられる単語の語彙の変化に関して1年間追跡調査を行う。
メリット 個人内の変化が詳細にわかる
デメリット 被験者が限られてしまい、一般化出来ない可能性がある
時間や手間がかかり、多くの被験者を同時に観察できない
横断的研究 … 多くの被験者を対象に、一斉観察する
例. 英語学習期間に差がある生徒が混在したクラス内での、英会話で用いられる語彙の差を一斉調査する。
メリット 多くの被験者を見ることで、一般化しやすい
縦断的研究に比べ、調査が短時間で済み、容易である
デメリット 同一被験者の発達過程を無視してしまう
8.1.2 学習者のレベル分け(pp.202)
Ø 調査対象となる学習者を習熟度分けする際は、細心の注意を払う
調査対象となる学習者の英語の習熟度は、しばしばTOEICやTOEFL、英検などが目安として用いられる。しかし、その得点を予測された発達過程を示さない場合がある。
例. 学年別(言語習得度に反映されるとは限らないため)
テストのスコア(各テストには測定する目的があり、レベル分けすべき発達段階と一致しないため)
8.1.3 実験群と統制群(pp.204)
Ø タスクに対し、実験を行う「実験群(experimental group)」と、そのタスクの成果を比較・確認するための「統制群(control group)」を設定する
被験者に起こった変化が、実験・タスクの影響に因るものなのかを確認しなければ、正確な結果は収集できない。そのため、実験を行う集団と均等な統制群を用意し、そのタスクの影響を比較・確認しなければならない。例えば、授業の中に音読のタスクを取り組み、ある被験者の英語の熟達度を向上させた、という結果が得られたとしても、「音読以外のタスクに関して、全く同じ授業を行った集団」と比較しなければ、そのタスクの影響かどうかを確認できない。
統制群 … 実験群の成果を確認するために統制が行われる、実験群と同質な集団
8.1.4 パイロット(試行)テスト(pp.204)
Ø 本格的な実験を行う前に、小規模な予備実験(パイロットテスト)を行い、実験結果の妥当性を確認し、不備が見つかれば、実験デザインに修正を加える
実際にデータ収集のための実験を行うと、想定していたものと大きく異なる結果が出てしまう場合や不備が生じる場合がある。実験は大きな労力を要することなので、大規模なものは繰り返し行えないことを考慮すると、このような場合に備えて、本格的な実験を行う前に、小規模な予備実験を行うべきである。この予備実験で不備等を確認し、それが見つかれば修正を加えた上で、本格的な実験に移るべきである。
8.1.5 指導の効果を見るためのデータ(pp.205)
Ø 指導の効果を確認する際には、効果の持続性の確認まで視野に入れた上で、データの収集を行うタイミングを考える
指導の効果を確認する実験は多くあるが、その効果を確認するタイミングは効果の持続性を考慮した上で行わなければない。知識の定着が1週間後の確認が適切であるか、1ヶ月後が適切なのか。これらは各データ収集の目的によって異なるはずである。
8.1.6 質的データと量的データ(pp.206)
Ø データの記述に関しては、質的データ・量的データの双方を補完的に活用するべきである。
データの記述には、質的データと量的データの2種類の方法が存在する。
質的データ … 研究者による、被験者のデータに関する詳細な記述
例. 「被験者Aはコミュニケーションする際、指を使い、やたらダブルコーテーションのジェスチャーを多用するが、被験者Bはくねくねしながら、自身のエピソードを多用する」
量的データ … 数字によって示されるデータ
例. 頻度、正答率、反応時間 etc.
量的データは統計で活用できるが、それらでは詳細な情報を拾い切れない。これらの2つはどちらかが良い、というものでなく、双方を補完するものと考えるべきである。
8.1.7 インフォームド・コンセント(説明を受けた上での同意)(pp.206)
Ø 被験者には実験の目的や方法を明確に説明し了承を得た上で、人権を守られるように配慮することが必要である。
具体的なデータ収集方法
8.2 具体的なデータ収集方法と注意点(pp.206)
8.2.1産出データ
(ア) 自然発話データ … ビデオやレコーダーを用いて会話等を収集し、分析する手法 (pp.207)
メリット ・ 研究対象を絞りこまず、学習者の様子を記述可能である
デメリット ・ 記録されることで普段と異なる行動をとるおそれがある
・ データの整理に労力がかかり、精度が下がるおそれがある
・ 回避(avoidance)を考慮する必要がある
・ 学習者の発話使用が完全に習得されているとは限らない
(イ) 筆記産出データ … 学習者の筆記による産出を収集し、分析を行う手法 (pp.210)
メリット ・ 一度に大量のデータを集めやすい
デメリット ・ 被験者が時間をかけ、書き直しが可能になるのに加え、外部情報を活用する可能性があることから、学習者の言語知識を直接反映できない可能性がある
(ウ) 日記研究/ジャーナル … 被験者や観察者にとって、興味深い現象のみを記録する手法 (pp.211)
(エ) 誘引タスク※ … 被験者に特定の発話を促す環境(タスク)を与える手法 (pp.212)
メリット ・ 調査したい構造や機能に関するデータを効果的に産出させることが可能
デメリット ・ タスクの影響で、純粋な産出が得られない可能性がある
8.2.2認識・理解に関するデータ収集方法
以下では、刺激に対する被験者の解釈を収集し分析する手法を紹介する。それぞれ、論文でのデータの提示方法、刺激文に工夫が必要である。
(ア) アクトアウト法 … インプットに対し、言語を介さず、行動や人形を用い、被験者に要求した反応を分析する手法 (pp.216)
(イ) 絵選択タスク、絵を用いた真偽値判断タスク … (ア)に関して、行動の代わりに絵を選択してもらい、分析する手法 (pp.217)
(ウ) 真偽値判断タスク … ある文が、別の文の内容と一致するかどうかを答えさせ、分析する手法 (pp.217)
8.2.3実験心理学的手法によるデータ収集
(ア) コンピュータ等による刺激提示に対する反応の測定 … コンピュータにより、刺激を制御し、その反応を測定し、分析する手法 (pp.219)
メリット 心的処理のスピード等まで測定可能
デメリット 出現する単語までに渡る細かい分析が必要
(イ) プライミング … ある単語の認知の処理スピードを、別の単語の提示により、短縮させることが出来る。この処理スピードの差を分析することで、心的辞書の距離を分析する手法 (pp.221)
(ウ) 自己ペースによる読解/聴解 … コンピュータによりインプットを統制することで、被験者の文のオンライン処理を調査し、分析する手法(pp.222)
8.2.4神経生理学的データ
研究手法では神経生理学的データを元に分析する手法が現れ始めた。脳イメージングがより精密な分析手法として大きく貢献する可能性がある一方で、今までの研究を「根拠のないもの」と軽視する可能性がある。また、脳の部位の働き自体が精密に解明されておらず、決定的な証拠にならないという批判もある。(pp.231)
以下では、言語仕様の際に使用される脳に焦点を置いた分析方法を紹介する。
(ア)
眼球運動 … 文字情報を言語情報に置き換える際の眼球運動を測定し、直結する脳の反応を解読する分析手法(pp.223)
メリット 被験者の単語、統語、談話に関する知識を処理スピードから分析できる
デメリット 処理スピードが遅れる要因は外的である場合がある (目が悪い・部屋が暗いetc)
(イ)
事象関連電位(ERP) … 認知活動に関する脳の部位の電極を測定し、分析する手法(pp.226)
メリット 脳の活動を即時で観察し、統語の乱れによる被験者の文の再分析を細かに確認できる
デメリット これらの反応が言語の認知処理を反映しているとは限らない
「言語」「言語処理」「習得」に関して厳密な定義が必要である
被験者の負担が大きい
(ウ)
PET、fMRI、光トポグラフィー … 放射線医療薬を用い、脳内の血流の流れを確認し、活性化された部位を分析する手法(pp.228)
メリット より細かな脳の動きの分析が可能である
デメリット 大掛かりであることが多い(最新設備で解消しつつある)
8.2.5メタ言語データ
(ア) 文法性判断タスク/受容度診断タスク … ある文が[文法的]/[発話、文体、記憶]から的確であるかを判断させるタスクによるデータ収集・分析手法(pp.232)
メリット 数的処理が容易である
デメリット タスクでの言語仕様が自然でなく、メタ言語観察に陥る可能性がある
(イ) 文操作タスク … 被験者に対し、文操作を行わせ、ターゲット文を作らせるタスクによるデータ収集・分析手法(pp.236)
メリット 特定の言語仕様を促すことが出来る
デメリット 不自然な産出による「メタ言語能力」を測定している可能性がある
「大昔に適当に人間が創ったことばに規則を見出そうとするなんてすごいよね」
返信削除この言及は本日、工学部でシステム工学を専攻する、言語研究の知識が全くない方がふと発したものです。この言及に対して議論をすることはいろいろとできそうですが、私は単純に「そうだよね。」と言い、改めてそう思いました。
キチカワさんが上述の通り、今回ここにまとめられているのは、人間の頭の中でことばが産出される仕組みを解き明かそう、観察しようとして考えられた方法です。改めて考えると、ある意味とてつもなく果てしないことをしているなと思います。
キチカワさんが以前おっしゃっていたように、ことばの産出の規則など見出せるものなのか疑問です。なぜなら様々な研究は、たいへんな複雑性をもつ言語体系の中でその“ほんの一部”を対象とし、描写しますが、その“ほんの一部”でさえもそれに関わっているであろういくつかの要因は無視されています。そこで「無視された要因がある!」と気づいた他の研究者がそれを指摘し、その要因を含めてまた次の研究をしていく、というパターンは数多くありますが、言語体系というものの膨大さを考えると、その体系を解明する日はいつ来るのでしょうか。
来年から言語の研究者になる身として、こんな考えでいいのかと自分に落胆している次第ですが、これは今の私の知識レベルでの率直な感想として、ここに書かせていただきました。
とはいいつつも、これまでの先人たちの研究で、ことばというものについてその多くが解明されてきました。Chomskyのような歴史的に偉大な提言をする論文もあれば、ここにまとめられている言語記述の方法を正確に駆使し、丁寧になされた研究も山のようにあります。そういった「巨人の肩の上に立」ち、私たちは英語を教え、研究を進められるんですね。
私も4月からこの際限なく面白い英語教育研究学という分野の、研究者の一員となれることを感謝し、わずかでも貢献したいと思います。
いや、まずはそのために勉強、勉強の日々ですね。