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2013年11月3日日曜日

Bachmanコミュニケーション能力―communicative language ability―


テストを行う上で、もしくは教育を実践する上で、我々は「言語を使用するとは何か」という大きな疑問にぶち当たることがある。以下ではBachman(1990)よりコミュニケーション能力(communicative language ability)のモデルをわかりやすく紹介したい。

 大まかな構成は4

Bachmanの唱えるコミュニケーション能力は、大まかに言うと4つの要素で構成されている。本記事では、この4つの要素がコミュニケーションの中でどのように機能するかを簡単に紹介する。(先に留意して置かなければならないことは、本記事では以下の4つの要素が記載する順番で連続している印象を受けるかもしれないが、この順序に大きな意味はなく、単なる便宜上に配列である。)



  心理・生理的機能 -Psychophysiological Mechanisms

我々がコミュニケーションを行う際には、まずの目の前の状況を五感で感じ、その状況に合わせてコミュニケーションの形式を変えるだろう。例えコミュニケーションの関与者の目の前に同じ状況があっても、感じ方は個人によってことなるだろう。例えば、極度の上がり症の人は、そうでない人と同じ程度のコミュニケーションの方法や知識を習得していたとしても、実際に異なる形のコミュニケーションを行うだろう。このことから、受動的側面において、視覚や聴覚といった個人の神経的・身体的特性がコミュニケーションに関わってくることが考えられる。また、異なる話者が同様のコミュニケーションの形式をとっても、声の高さや低さ、話者の体格や表情が違えば、コミュニケーションそのものは異なるものに見えるだろう。このことから、産出的側面においても、個人の心理・身体的特徴がコミュニケーションに関わってくることが考えられる。これらの受動的・産出的な側面から、コミュニケーション能力の1つ目の要素には「心理・生理的機能(Psychophysiological Mechanisms)」が備わっていることが考えられ、私達はこの機能を用いることでその場の状況を汲み取り、そして関与することができる。
この機能は身体に備わったものであり、コミュニケーションにおいてこの機能そのものを調整することは困難だろう。人間が「暑い」と感じることを調整することが出来ないし、上がり症の人間が「緊張しないように」と意識しても緊張してしまうのも体質や身体的な特徴が大きく影響するために調整出来ない。すなわち、この要素については人間が生まれつき備わった特徴という側面が強いために、訓練して鍛えることが不可能な部分となっている。もちろん、上がり症の人間が訓練を重ねることで、人前でのスピーチを上手に行えたり、体格が大きくコミュニケーションに不必要な威圧感を伴った人間が、物腰柔らかな言い方で紛らわす事例は考えられるが、これは後述する「方略機能」で補完しているだけであり、感覚そのものを調整しているわけではない。すなわち、この心理・生理的機能はコミュニケーション能力に大きな関わりを持つが、教育の対象そのものにはなりえないことがわかる。

  方略能力 -Strategic Competence―

 上記の心理・生理的機能がコンテクストを感じる個人の機能であったのに対し、2つ目の要素である方略能力(Strategic Competence)を簡単にまとめるならば「心理・生理的機能で感じ取ったコンテクストを判断し、それに合わせて言語使用の方法を決定する能力」である。
Bachman以前の社会言語学者の方略能力は、あくまで「言語によるコミュニケーションが困難に陥った際にそれを補完するために用いられる(非言語まで含めた)能力」とされていた。一方でBachmanはこの定義を拡張し、言語使用の上では欠かせない能力と考えた。
Bachmanの唱えるこの方略能力は、1.アセスメント要素―Assessment component- 2.計画的要素―Planning component― 3.実行要素―Execution component― の3つの要素で構成される。以下では、この3つの要素を確認する。

1.       アセスメント要素
我々は言語使用を行う前に、これから行われる言語使用に備え、目の前に存在する状況を判断している。この判断する要素をアセスメント要素という。例えば、可愛い女の子が歩いている状況が、あるコミュニケーション能力の高い男性の心理・生理的機能によって感知されたとき、彼が持つ方略能力中のアセスメント要素が働き「あの女の子に声をかけるべきかどうか」を判断する。仮に、その女の子が非常に急いでいるように映れば彼はコミュニケーションを図るには困難であると判断し、話しかけることを諦めるだろうし、逆に仲良くなれそうな隙を見つけることができればコミュニケーションを図れそうだと判断するだろう。このように、我々はアセスメント要素を用いることで、知覚されたコンテクストに対し何らかの評価を下す。

2.       計画的要素
我々は目の前に知覚されたコンテクストに対し、アセスメント要素を用いて何らかの評価が行った後に、どのような形でコミュニケーションを図るかを考えるだろう。このように、話者がコミュニケーションの方法を考えることが、方略能力の中の計画的要素となる。前述の例に当てはめるならば、コミュニケーション能力の高い男の子が目の前の女の子に対してどのようにすれば仲良くなれるのかという手順を思考する段階が、この計画的要素に当てはまる。彼はストレートに話しかける手順を計画するかもしれないし、過去にどこかで出会った知り合いの振りをするという計画を立てることも考えられる。また、アセスメント要素にて「女の子は困っていて助けを求めている」という評価を行っていれば、何か助けを提案する形で話しかけるという計画を立てるかもしれない。このように、我々はアセスメント要素での評価に対し、計画的要素を用いることで、目標に対してどのような方法をとることが最善なのかを思考するのである。

3.       実行要素
 計画的要素によって計画されたコミュニケーション方略を実行に移すのが、この実行要素となる。我々の身の回りでは「この計画に従ってコミュニケーションを図ろう、と思っていたけど、実際にやってみると上手に話しかけられない」という事例は多々あることから、計画要素と実行要素は区別して考えることが自然のように思われる。上記の例の続きで考えるならば、男の子が立てた「知り合いの振りをして話しかける」という計画を実行に移すことが当てはまる。我々は計画的要素での計画をもとに、実行要素を用いることで、実際にコミュニケーションを実行に移すのである。

以上では、方略能力に含まれる3つの要素を紹介した。ここで留意して置かなければならないことは、コミュニケーションはこれらの3つの要素アセスメント要素・計画的要素・実行要素1周するだけでは終わらないことである。実際のコミュニケーションを想定すると、「思っていたようにいかない」ということは多々起こる。この際に、我々は常に別の形でのアプローチを模索し実行に移すだろう。このように、私達は実行要素でコミュニケーションを行っている際に、目の前で行われているコンテクストに対し、再度アセスメント要素を用いて再度評価を行い、そして計画的要素に従って再度新たな計画を立て修正を行いながら、新たな形で実行していくのである。これらの要素は1回で終わるのではなく、絶えず循環することでコミュニケーションを築き上げているのである。

 心理・生理的機能とは違い、方略能力は教育・訓練によってある程度強化することができるだろう。しかし、この方略的能力はコミュニケーションに限った能力ではなく、目の前の状況に対する対処全般と一致する部分があり、いわば生活上広い意味の知性という特色を持つ。(なおBachman(1990)では、方略能力は知性という特色はあるが、完全に知性と一致知るものではないと述べている。)

  一般的知識 -Knowledge Structures

コミュニケーションを行う際に、私達は自身が持つ知識全般に従いやりとりする内容を決定している。コミュニケーションにおける3つ目の要素はこの一般的知識(Knowledge Structures)である。引き続き、上記の例で当てはめて考えよう。ある男の子が女の子に声をかけようとしている。上記では言った通り、男の子は心理・生理的機能によって状況を感じ取り、方略的能力でコミュニケーションの方法を考えるだろう。しかし、彼の方略は常に一般的知識によってある程度影響を受けているのである。例えば、彼が「最近話題のアーティストの話を中心に彼のウンチクを披露する中で話を仲良くなる」という方略を考えるかもしれない。方略の決定は、彼の一般的な知識に影響していることが伺える。このことから、我々のコミュニケーションにはそのコミュニケーションに関する内容という知識全般が大きく関わってくることがわかる。
 一般的に繰り広げられる英語教育では指導要領の上で「コミュニケーション能力の育成」を掲げているものの、コミュニケーションを行う上での話すべき内容が配慮されないことが多い。しかしながら、学習者がコミュニケーションをするにあたって話す内容という知識を持っていなければ、円滑なコミュニケーションは行うことが出来ないだろう。一般的知識が乏しければ、彼の選択しうる方略能力は大きく制限され得ないからである。コミュニケーションは一般的知識がなければ形式上のやりとりのみに陥ることを念頭に置かなければならない。

 言語能力 ―Language Competence―

 コミュニケーション能力を構成する4つ目の要素が言語能力である。上記の3つの要素は言語そのものとは関連のないものだったが、この4つ目の要素は直接言語に関わってくる要素となる。以下の図では、この言語能力の下位区分を図示する。留意して置かなければならないのは、これらの項目が完全に独立したものではなく、それぞれにある程度重複する部分が存在しうることである。



 言語能力は下位区分である組織的能力と語用論的能力に分けられる。組織的能力は我々が文法的に正しい構造を統制したり、それを文脈に組み込む能力である。一方で、語用論的能力は話者の発言がそのコンテクストに容認されるように結びつける能力である。
 組織的能力はさらに下位区分である文法能力とテクスト的能力に区分される。組織的能力を構成する1つ目の下位区分である文法能力には語彙・統語・音韻論・形態論といった比較的独立した諸要素が含まれる。我々はこの文法能力を用いることで、言語上の規則に受け入られる発話を発信・受容することができる。組織的能力を構成する2つ目の下位区分であるテクスト的能力には、テクスト同士をつなぎ談話を構成するための結束性や、発話の形式をより効果的に構成するための修辞的構造が含まれる。
 また語用論的特性はさらに下位区分である発話内能力と社会言語的能力に分けられる。語用論的能力を構成する1つ目の下位区分である発話内能力はスピーチアクトといった言語上現れないメッセージを汲み取るための能力である。私達はこの能力を用いることで、字義上に真意が現れない皮肉を言ったり、言葉が少なくどうとでも取れるような看板の広告に何らかの意味を見出すことができる。語用論的能力を構成する2つ目の下位区分である社会言語的能力には、「方言や変種に対する感受性」・「言語使用域に対する感受性」・「自然さに関する感受性」・「文化的指示とスピーチの形態を解釈する能力」が含まれる。私達はこの能力を用いることで、方言と標準語を使い分けたり、書式上では口頭表現を用いることを避けたり、構造上には問題のない留学生の言葉にある種の違和感を覚えたり、コンテクスト上に突如現れた比喩を理解できる。
 以上で示した諸要素が統合され、言語知識を構成しているのだが、しばしば我々の周りの英語教育では組織的能力、さらにその中の文法能力にばかり焦点を置いてしまっているように思われる。しかしながら、私達の言語知識、ひいてはコミュニケーション能力は文法能力だけで行われるものではないことは前述の通りである。確かに母語のコミュニケーション能力の要素を転用できる可能性もあるが、あくまで英語という言語を通じてコミュニケーションを図るように教育するのであれば、文法能力以外の諸要素まで教育しなければなないのではないだろうか。

  コミュニケーション能力の評価の在り方とは?

以上で述べてきた通り、コミュニケーション能力とは非常に様々な諸要素が絡み合い、相互作用しながら構成している。それ故に、単純な言語知識の中の文法能力だけでは、コミュニケーション能力全体を扱うことは出来ないのである。
上記のうち、評価しやすいのは言語知識(特に文法的能力)である。これらはテストの出題方法を考えれば、ある程度問うことができるのだろう。しかしながら、方略能力に関しては、単独で測定することは極めて困難だろう。そのため、従来のペーパー試験によって、目標で掲げているコミュニケーション能力を測定するのは不可能に近い。
近年、TOEICTOEFL、センター試験といった限定された能力が世間での議論の中心として考えられることが多い一方で、グローバル化や社会からの需要によりコミュニケーション能力を重視する声も多く上がっている。上記のコミュニケーション能力の構成を考えるならば、TOEFLTOEICの点が保証しているのは極めて限定的な部分である事がわかり、これらを同一視できないことは明らかだろう。今一度、コミュニケーション能力とは何であるのか、そして広く用いられているテストの得点が指し示すものは何なのかを再考する必要があるだろう。

参考文献

Lyle F. Bachman 1990. Fundamental Considerations in Language Testing

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