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2014年8月11日月曜日

大学入試は良くなれない? ※個人の見解


2014年度 全国英語教育学会で聞いたシンポジウムをもとに、自分なりの大学入試に関する見解をまとめてみます。

大学入試は良くなれない?

あくまで個人的な見解なのですが、大学入試が万人にとって最高の形になることは不可能だと考えます。その理由は、大学入試には様々な立場からのニーズが存在し、それら全てを解消することはできないからです。

大学側の入試へのニーズは「学術的に求められる英語を限られた予算の中で測定し、質の高い入学者を選別する」であることが常です。大学では、論文を正確に読めたり学術的に質の高い文章の産出が求められ、英語による日常会話はあまり重要視されません。大学の目的は様々ですが、その一つが研究ですから、当然なのかもしれません。また、研究が主な目的ですから、その選抜のための試験にはあまり予算を割いていられません。面接による直接テストが好ましいのかもしれませんが、これには多くの予算がかかります。「いい学生を求めるために面接を導入したがために、受験料が上がり、結果的に受験生が敬遠する」となると本末転倒です。よって、ペーパー試験の方が都合がいいのです。さらに試験という性質上、学習者を学力に応じて分別しなければならず、簡単過ぎる問題を出すわけにはいきません。また、最近の大学入試は簡単になり量が増えるという傾向がありますが、問題数が増えれば作成や採点にも時間がかかるため、難しい問題を用意するのが一番ニーズに適っています。結果的に大学側からすれば「予算の安いペーパーで、研究に必要な知識を、難しいめ問題で確認する」のが効率的です。

一方、高校側の入試へのニーズは「授業で扱った内容の定着度を測定して欲しい」というものです。高校の授業内容は通常学習指導要領で規定されており、その根幹は「コミュニケーション能力の育成」となっています。そのため、英語科の授業では従来の訳に傾倒していた授業形態が否定され、コミュニケーション重視でのスタイルが奨励されています。(もちろん、コミュニケーションというものを冷静に捉え直せば、単なる英会話だけがコミュニケーションではなく、筆者と読者の正確なやりとりである訳読等も重要なコミュニケーションの一部に該当すると思うのですが、従来の反動なのか最近の英語の授業では異様にこの訳という作業がタブー視されてきたように感じます。)この制度上の背景から、高校での授業は英語のやりとりを中心に取り扱いたいのですが、高校の出口である大学入試が訳読する力を求めていることで、ジレンマに悩まされます。生徒の進学を優先すれば指導要領を無視してしまうことになり、指導要領を優先すれば生徒は授業についてこないかもしれない(現段階での私見では両立の道も存在していると思っていますが、(これはあくまで偏見ですが)教材が指導要領に合わせたもの・受験に合わせたものとはっきり分かれている、両立するための教授法が確立されていない点から、教師が相当試行錯誤しなければ不可能だと思っています)。結局、高校側からは大学入試には読解をメインで問うものではなく、コミュニケーションを測定するモノ、特に直接テストの様な形式で、産出面をもっと評価して欲しいというニーズが生まれます。そして、従来のような学術的な内容ではなく、もっと日常生活に基づいた(言い換えれば難易度を落とした)題材を使って欲しい。さらに、生徒は全員が裕福であるわけではありませんから、予算は抑えて欲しい。その結果、高校側が大学入試に求めるものは「予算のかかる直接テストで、実用レベルの英語でのコミュニケーション能力を、日常に身近な題材(簡単な問題)で確認する」ものであり、且つそれを安価な形で要求しているのかもしれません。

結局、両者でのニーズが大きく異なるために、そもそも「良くしよう」といったときの「良い」のベクトルが異なるため、両者にとって完璧な試験は存在しないのかもしれません。

「英語は必要だから生徒はついてくるでしょう。」

このことを考えている際に、以前数学の先生から言われた言葉「数学は将来いらないけど、英語は必要だから生徒もついてきて楽でしょう」というのが頭をよぎりました。受験に関しては数学も必要なのは同じ点を踏まえると、この言葉の中の「必要」は指導要領上の「コミュニケーション能力」を指しているのかもしれません。一方で、そのコミュニケーション能力を重視した英語に傾倒した授業をすれば、特に高校3年生から「先生の授業は英会話はできるようになるのかもしれないけど、入試みたいな難しい文章は読めるようにならない」という不平が出るのは容易に想像ができます(実際に、塾に勤めていた時には、このような「学校の授業が受験と関連しておらず、やる気が起こらない」といったことを耳にしていました)。様々な英語のニーズが求められている現状で、本当に英語を教えることは簡単なのでしょうか。

高等学校のカリキュラムの出口である大学入試が変われば、英語教育は過去の文法訳読式の形態から指導要領の目指すコミュニケーションの方向へスムーズにシフトできるのかもしれません。一方で、制度上大学入試を変えるのが困難なのもわかります。両者が動かない状況で、昨今話題になっている外部試験導入がどのように影響するのか、、、と、考えれば考えるほど試験の「良い」とは何なのかわからなくなってしまいます。

果たして、今後どうなるのでしょうか。個人的には高校側の意見が採用されればいいなぁと思う一方で、そんなことになれば予備校はどうなるのか心配です。