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2020年12月29日火曜日

振り返り(2020)

 激動だった今年度の振り返りをツラツラと。備忘録です。


【プライベート】

 おめでたいことが立て続けに起こりました。私生活の変化が目まぐるしい1年でした。

2月 プロポーズ
3月 両家挨拶
5月 同棲開始・両家顔合わせの食事会
7月 式場見学・決定
11月 挙式
12月 妊娠

 「人生において前例のないことに加え、コロナへの懸念でどう動けばいいのかわからない!」と焦ることも多かったです。が、振り返れば2つの教訓で整理できそうです。

① 漠然とした不安は【良いケース】と【悪いケース】の2パターンで対処

 正直、コロナでの自粛生活を続けると「何かをすること=悪」のような感覚を覚えてしまいますが、進めなければならないことも多く、リスクを承知の上で行動することも必要だと感じました。特に、挙式の準備については、「動けるうちに動いておく」ことで、あとが非常に楽になることを実感しました。「ぶっちゃけ、延期になっても仕方がないけど、できたら今のうちに滑り込ませる!」という感覚でしたが、何とか無事予定通り進めることができて良かったと思います。「よくわからない」状況が一番ストレスだったので、「うまく行けばAプラン、だめならBプラン、それ以外にベストはないね!」と割り切ることが必要だったのではないかと思います。(まだまだ人生これからなのでしょうが。)

② 時間の節約になる出資は早めにしておく

 大きい冷蔵庫と大きい洗濯機は、想像以上に心にゆとりを与えます。値段以上の価値があるので、これは出資するべきだと強く実感しました。


【仕事】

 4月で4年間勤務した初任校を移動しました。3月には3年間持ち上がったクラスを卒業させ、新天地で新たに目標を定めて奮闘しているところです。気づきを何点かまとめます。

① 「1週目のしんどさ」

 初任校での仕事は、初めての連続で、すべてのことに全力で取り組んできました。また、周りからも多くの仕事を振られるようになり、「信用の表れ」と受け止めてきました。と同時に、常に「何でこんなしんどいのに、まだ仕事を振ってくるの?ブラックなの?!」と憤ることもありましたし、ストレスで蕁麻疹が収まらなくなり、血尿に悩むこともありました。ただ、今になって振り返れば、そこまで肩の力を張らなくても、とどのつまり「押さえることろは数点しかなかった」ということを思います。慣れた人からすれば、「要はアレとアレをするだけ」なのですが、初めての人にとっては暗中模索の四苦八苦。ただし、2周目からは大したことではないことがわかります。今でも「仕事量は適当だった」とは思えませんが(笑)、確かに「やってやれないことはない量にすぎなかった」と思います。

 とはいえ、当時は死ぬほどしんどかったので、中堅を迎える前に備忘録を残すのであれば、山本五十六の言葉「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」を肝に刻むことです。中堅がいない前任校では、若手に仕事を任すにしても、ヒント無しで丸投げでしたが、正直ツラいものがありましたので、この言葉を元に行動すべきだと思います。

 さらに、自身を振り返っても思うのですが、生徒会活動や文化祭の行事の運営を振り返った際に、私は手慣れているので当たり前のように生徒に「いい経験になるから!」と丸投げし、「あれ?思ったほど進んでいない、、、?」といった場面を反省しています。人に教えることの責任とテクニックを改めて実感しました。

 『やってみせ』        : 実演
 『言って聞かせて』  : 説明
 『させてみせ』        : 練習
 『ほめてやらねば』  : 評価

② 「歩き始めるまでを丁寧に」

 初任校での教科指導を振り返ると、「丁寧なプリントによる本文解説!」「フィードバックには力を入れて!」「補習用のテキストも用意!」「各大学の過去問分析→傾向に合わせた問題提供!」と全てに全身全霊を注ぎ込んだ挙げ句、実際の授業では「これを持って帰れば家でもできるから、雑談しちゃおう!」という本末転倒な授業が多かったように感じます(笑)

 圧倒的に「授業中の時間」<<<「授業外の時間」です。また、「理解」以上に「定着」に時間を割かないと実力は伸びず、解説を聞くだけの授業はどれだけ極めても成果が伸び悩むことを踏まえると、自主的な学習が非常に重要なのではないか、という部分で今は落ち着いています。

 一方で、「生徒が自主的な学習を行えるようになる」のは実は一筋縄ではいかないと感じています。現在の赴任先では、中高連携で地元の中学校に週5時間ほど出張授業(補助)をさせてもらっているのですが、中学生の学習の様子を見ていると、「目的を理解して学習に取り組んでいる子(=何かを身につけているために学習する子)」と「タスクを消化するために作業を行う子(=言われたことを終わらせるだけの子)」の二極化を痛感する日々です。前者の生徒はメキメキと力をつけるのに対し、後者の生徒はどれだけ課題をこなしても得られるものが少なく、真面目・不真面目を問わず、結果が出ず、達成感が得られず、学習が継続しないという現状を目の当たりにしてきました。しかも、少々の声掛けでは集団の中での変化はあまり期待できないのかも、と絶望しかけることもありました。

 現在の所属校では、後者の「タスクの消化を目的に作業を行う生徒」が多く、単純に課題を設定することにあまり多くの意味を見出すことができず、一つ二つ、工夫が必要なように感じでいます。自主的な学習が効果を発揮するために求められる ①取り掛かりのハードルを下げる工夫 ②学習の目的を潜在化させる工夫 ③継続的させる工夫 など、様々なことを感じ、試行錯誤したので、機会があれば整理しようと思います。

 話は逸れましたが、3年生の後半になれば、生徒は血相を変えて学習に向き合うようになります。それは必要に迫られて行っているのもあるのですが、大半は「やっと学習の仕方がわかった」という部分の解消によるものも大きいと思います。歩き始めるハードルさえ突破すれば、あとはある程度勝手にやってくれるのだろう、出だしの指導こそが重要である、と今の所属校では強く感じています。

③ 「ICTへの見識を深めておこう」

 そのままです。現在の『教育にICTを活かせ』という風潮はおそらく、向こう10年くらいは逆行することはない気がします。特に、生徒が自身の端末を学校内に持ち込むハードルが下がってきており、私の所属校では今年度から全員必須となっており、それを活用しなければいけない義務感に駆られています。

 所属校の校長面談の際に言われた「①既存のものの置き換えと、②新たな制度の導入 の2つの側面について考えていこう」という言葉が印象的でした。「アクティブラーニング」の流れから、「協働的な学び」、そして「個別最適化された学び」と流行の言葉はシフトしていきますが、それぞれの長所や流行り廃れの原因を踏まえて、フットワークを軽く、美味しいところを囓って行きたいところですね。


 以上。飽きたのでこの辺で終わります。