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2015年11月22日日曜日

テロに対する考え

2015年11月にフランスでテロが起こりました。
被害は大きく、悲惨な事件だったと思います。

私自身の理解と考えを深めるために、
テロに対する考え方をまとめます。

先に明記しておきますが、
テロは恐ろしく、全く関係のない人々が被害に遭います。
いがみ合っている当事者同士ではないので、
被害に遭う側からすればやってられません。
テロは許されない行為であると思っています。
そう考えるうちに、そんなテロが何故起こるか、不思議に思えてしまいます。

テロは最終手段である

以下は根拠のない個人的な妄想です。
(ちゃんと調べればいいのでしょうが、、、)

例えばある小さな国が資源を持っていて、
大国がそれを欲しいと思います。
ちゃんと納得する形で取引できればいいものの、
大国からすれば、可能ならタダでぶん取りたいと考えます。
小さな国は一方的に攻撃を受け、
このままでは全てを奪われてしまう。
残された選択肢は2つ。
「完全に諦めて従い続ける」か、「姑息な手段でも嫌がらせをして引かせる」か。

「諦める」を選択すれば、大切なものを全て失います。
「どうせ失うなら、対抗するしかない」という心理もわからなくはないです。
「俺をやると面倒臭いぞ!」と示すため、
「正面からは無理でも、お前が守れないものを攻撃する」という
手段を取っても、不思議ではありません。


国際情勢では力関係が明確であり、
大国の論理で回ってしまっている部分は大きいです。
結果、小さな理由をピックアップし、
「正義」と称して、小国から一方的に利益を奪い取ります。
しかし、「正義」なので問題はない。
小国には選択肢がないように思えます。
結果的に、テロにつながっているのかなと。

これだと、「テロを終わらせる」のは
大国側が引くか、
小国を根絶やしにするかの2択です。
今は完全に後者の流れでしょう。

「宗教的な問題」とも言われていますが、
他人に自分の価値観を押し付ける、なんてのだけが理由では正直考えられないです。
もちろん、私が信心深くないのが理由なのかもしれませんが。

というわけで、
(仮に私の妄想の説で言えば)
結局のテロの原因は、大国の欲なのかなぁと思います。
どうなんでしょう。

テロを無くす動きが見えてこない?

今の報道を見ていて、正直わかりにくさを感じます。
私の情報収集能力の低さが原因なのかもしれませんが、
わかりやすく発信されたものがパッと手に入らないのも問題で、
「何が原因で、誰が悪いのか」がぼかされている印象を受けます。
強調されるのは「テロをやる側が信じられない」「許せない」であって、
テロが何で起こっているのか、根本的に解決をしようとしているように思えない。
今、大国は酷いことをしているのではないか、と不安になります。
あくまで自分の勉強不足と妄想が原因ではないか、とも思っていますが。

というわけで、自分が何ができるわけでもないけれど、
どうすればテロが無くなるのか、
最近ボーッと考えています。

「趣味を仕事にする」に対する見解

教師という仕事をしていると、生徒に夢を語られることがあります。

非常に喜ばしいことです。
若くして夢を見つけることができたことは幸せなことだと思いますし、
それに向かって努力もしやすくなりますし、
その想いが強ければ強いほど
力になってやりたい!是非叶えて欲しい!
と、自分のことそっちのけで、サポートします。

ただし、全てを全力で、というわけでもなく、、、
実際、プッシュに躊躇してしまう「夢」がいくつかあります。

今回は、超個人的に!私が夢をプッシュできないケースを、「夢」(進路)の種類と共に紹介します。

 ※あくまで超個人的で、原因の多くは自分の知識の無さに由来している可能性が高いです。


ケース1「才能があるのか、よくわからない」


個人的に、「音楽で食っていきたい」とか「芸大に行きたい」は
非常にプッシュしづらい進路の一つです。
率直にその理由を言うと、
「あなたには才能があるのか、素人の私には正直わからない。」

芸術に関する業種は、人を魅了しなければ収入がありません。
人を魅了するためには、努力だけではなく、ある程度才能も必要です。

もちろん、プロだって初めから完璧ではないです。
何度も何度も、人から拒まれ、心を折られ、苦渋を飲みながら上達していくものです。
初めから爆発的な才能があるパターンは少ないでしょう。
その進路を進むうちに才能を開花し、いずれは成功するかもしれない。

しかし。
教師の願いとして、「生徒には不幸になってほしくない」。
どうも、無責任に「行け!」なんて言えないのです、、、
実際、音楽専門学校等、進路情報を見てみると、
就職先の企業は書いてあるものの、
就職率などの数字が書いていない場合が多く。
「書いてないってことは、悪いのかな、、、」と思わざるを得ません。
どうも、芸術系の進路はプッシュを躊躇してしまいます。

私は過去、吹奏楽を経験し、バンドマンも経験し、
多かれ少なかれ美術館にも足を運んでいますが
精通しているなんて思いませんし、
でも、さすがに「光るものがある」とか、そういうところはわかりません。

という理由で、私は芸術系の進路に対しては
頑なに進路変更を強要することはないにせよ、
二つ返事で「やってみろ!」とは言いづらいんですよね、、、
「夢を叶えよう!」とか言っておきながら、
実際にはドギマギしてしまう葛藤が、芸術系の進路にはあります。
人を魅了するって非常に厄介です。


ケース2 「『やりたいこと』=『仕事』じゃない」


芸術系、ファッション系、芸能系で感じることが多いのですが、
「〜が好きだから、〜になる!」とかいうパターンです。
正直、聞いている方としては「えっ、それは仕事じゃなきゃダメなの、、、?」と思ってしまうことがあります。


いきなりですが、私はカワハギの肝が好きです。
正直、たまらなく好きです。
もし叶うなら、洗面器にカワハギの肝を敷き詰めて、顔を埋めたいくらい好きですし、
歯ブラシのチューブを捻って出てこないかなとか思います。
( 実際にやったら、超絶キモいのでしょうが。)

だけど、もし
「カワハギの肝だけ40年食い続ける生活」と
「半年に1回しかカワハギの肝を食べれない生活」ならば、
断然後者を選択します。
毎食、食っていたらさすがに嫌いになりそうですし、
大好きな肝を嫌いになりたくはないです。
たまに食べるから、幸せなんだろうな、という感覚もあります。
だから、やっぱり後者を選びます。

「趣味を仕事にする」って、「カワハギの肝だけを40年間食い続ける生活」なのではないかな、と。
きっと毎日向き合っていると嫌気が刺すことがあるかもしれません。
大好きだったものが好きではなくなる可能性すらあります。
「趣味」だから良いのであって、そのまま趣味として大切にしていくことはできないのかな、
安定した職をさらっとこなして、「趣味」に生きるという道もありますし、
それも相当幸せだと思います。
無理に「仕事」まで飛躍させなくていいんじゃないの?」と思ってしまいます。

もちろん、偏食家であれば話は別です。
「断然、「肝40年縛り生活」でいけます!」とプッシュされれば、
まぁ、そういう価値観もあるか、という理解もあります。
ファッションそのものをこよなく愛していて、
それが「自分の為」ではなくて、「大衆の為」になっても、
「自分」が受けいられられなくても、それに関わっていくだけで幸せを感じるレベルなら、
言い換えれば、自己満足の領域ではなく、一方的な愛で構わないというのであれば、
「職にしてみたらどうだろうかなぁ」と思います。
が、やっぱり自己満足でやりたいレベルのケースは多いのではないでしょうか。

「趣味としてとっておけば、、、?」と言いたくなってしまうことは多々あります。


ケース3 「逃避しているだけでは、、、」


専門職(芸術・芸能系、ガテン系、技術職)の、一般教科全般が不必要な業種に多いのですが、
いわゆる「勉強が必要なさそうに見える業種」に対して逃避を感じることがあります。
「『夢がある』と言っとけば勉強しなくて済む」的な。
特に、「夢がある」と言っているものの、それに向かって努力が見られない時に。

実際、勉強が大好きな人は非常に少ないです。
私自身、勉強は常に楽しいわけではないです。
やっている中で、「おっ」というタイミングがたまにあって、
元々ストイックな性格と好奇心が旺盛だったのもあり、
大学院まで進学してみましたが、
基本的には面白くない勉強は多いです。
(余談ですが、それを面白くプレゼンするのが教師の仕事の一つだと思っています。)

それを逃げる口実に、夢を使ってみる、というのをたまに見かけます。
実際、美容師さん等と話をしていて、
「勉強が苦手で、 ファッションとかそういうのが好きだったから。
 今はそれなりに幸せだよ。」
という話を聞くので、全否定はしません。
が、それが妥協や逃避で始まるなら、少しもったいない進路かなぁとも思います。

そして、その先の道が「楽」なわけではありません。
「今を楽して、将来苦しむ」が
「今(3年間)を楽して、将来(40年間)苦しむ」だと理解しているのかなぁ。
私の父はいつも「もっと勉強しとけば」と言っていました。
実際、そんな大人は少なくないです。
もちろん、昨今「高校をしっかりと勉強したら将来安泰」という保証はありません。
ただ、広がった道を狭めるのは簡単ですが、切り捨てた道を引き返すのは大変です。
勉強してみたらいいのになぁ、と思うシーンは多いです。

もちろん、「勉強以外にも大切なことがある」、そんなの当たり前です。
「勉強と並行でできないの?」と思うだけです。
というわけで、「逃げ」で「夢」を語って欲しくないと思います。


ケース4「カリスマに魅了されているだけなのでは、、、」


これはいくつかピンポイントで申し訳ないです。
好きな人に憧れてその業種に興味を持つのは、どの世界も同じです。
ただ、競争率やら安定性やらをあまりにも軽視しているパターンがあります。

まず「Youtuber」。
広告料で稼ぐ、しかも既存の動画と一風変わったものを提供しなければ価値が出ない。
それを延々と続けなければならない。
それほどの魅力とアイデアがあるのか、要はカリスマ性があるのか。
ちょっとやそっと「ちやほやされたい」程度で、仕事は務まらないと思います。
しかも、勉強も同時並行で進めることはできる気がするし、
50代でYoutuberって務まるのかな疑問です。
逃避しているだけではないかな、取り返しのつかないことにならないかな。
先生はちょっと心配です。

次に「声優」。
アニメが好きなのはわかるんだけど、作る側に回るのはわけが違います。
最近の若い子がいう「声優」はメディア露出も多い人に憧れているパターンが多く、
それはいわばルックスがかなり鍵を握っている気がします。
好きで憧れるのはいいけれども、人を惹きつけるものを持っているのか、
先生はちょっと心配です。

次に「カフェ開きたい」系。
「開く」のが夢なら、お金を貯めたらできます。
問題は「生計を立てること」。
人を集めることができなければ、カフェは続けられません。
夢を語るなら「カフェを開く」ではなく、せめて「カフェを営業する」と言ってほしい。
「夢」と「生活」は別問題です。
先生はちょっと心配です。


まとめ

ここまで話していると、
「結局、あなたは公務員やサラリーマンしか推していないじゃないか」と思われるかもしれません。
実際、そうだと思います。
どうしてもそうなってしまう理由は、その道は見てきたので、その歩き方なら教えてあげられるから。
実際、芸術系とか専門職とか、進んでみれば、どうにでもなるのかもしれません。
結局、無知が由来する、公務員のつまらない戯言にすぎないのかもしれません。

仕事は「お金」をもらうためにすることです。
何故お金が発生するかといえば、基本的には誰かが払うからです。
それは大きく分けて2パターンあって、
「人の嫌がること・できないことを代わりにやる」パターンと
「人がお金を払いたくなるほどのことをやる」パターン。
世の中の仕事は基本的に前者です。
後者は才能やカリスマ性に大きく委ねられます。

どうも職業柄「夢を見つけよう」と言うことは多いのですが、
そうは言うものの、幸せになって欲しいという根底の想いがあって、
結果、「夢を語らせておきながらグダグダ言いたくなる」という葛藤をまとめてみました。
あっ、でも基本的に私はどんな夢もプッシュしますよ!(綺麗事感ハンパないけど。)

駄文、失礼します。