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2015年4月15日水曜日

活動を行う前に確認したい3つの条件

この4月から新しい学校の教壇に立ち、改めて「生徒発信で授業を行うこと」の大切さを感じております。いつも思うのですが、今まで自分が受けてきた授業のスタイルや、大学・大学院で学んだ指導法がそっくりそのままの形で活用できることは稀です。私の趣味の麻雀で例えるなら、どんな配牌でも通用する決まりきった手順で戦っても勝てないのと同様、その場の素材から手筋を考えていかないと(新米教師の場合は特に)授業がうまく回るのを感じる場面は少なくなっていくのではないでしょうか。

一方で、そのまま活用してしまえそうな「指導法」という次元ではなく、その根底に存在する「留意事項」というポイントは、素材の生徒から授業を考案していく上で非常に参考になるかと思われます。よって、以下では、岡田栄司著「荒れ・しらけと闘う!英語授業の鉄則&活動アイデア」の中から、どのようなクラスに行こうとも意識したいポイントをまとめます。

『岡田式ディスカッション』から見る活動がうまくいく条件

岡田栄司著「荒れ・しらけと闘う!英語授業の鉄則&活動アイデア」の中では『岡田式ディスカッション』というテクニックが紹介されています。そのテクニックも然ることながら、個人的に押さえるべきはその基本的考え方だと感じました。本ブログでは、この本の中でまとめられていた生徒対象のアンケートについて記述してある部分を抜粋します。

ある年のアンケートの中で次の2つの質問について興味深い回答がありました。

①     「授業の中で自分の意見を言いたいと思うときはどんなときですか」
・ 他の人と意見が違うとき、自分の意見はみんなと違うなぁと思ったとき
・ 友達に自分の考えていることを知ってもらいたいとき、人に聞いてほしいとき

②     「授業の中で意見を言う気が起きないのはどんなときですか」
・ みんなが言いそうな意見のとき、同じ意見の人が多くいるとき
・ 周りがうるさいとき、ふざけているとき


これらの発言から、生徒が積極的に活動してもらうには以下のような条件がありそうです。

条件1
生徒同士の回答が重複しない活動であること


 まず、条件1は「生徒同士の回答が重複しない活動であること」です。これに関しては上記アンケートでの「みんなが言いそうな意見のとき、同じ意見の人が多くいるとき」から伺えます。著者である岡田先生は、この本の中で「ユーモアを取り入れる」という点を何度も強調しています。その理由について、「英語が使える生徒は活動の中で輝くのは当然であるが、ユーモアを取り入れると、逆転現象がおこり、英語が使えない生徒が輝ける場面を作ることができる」という旨を強く推していらっしゃいます。教室は通常、同世代の生徒らで構成されており、多くの子たちが似たようなものに対し関心を示す。そのため、単なる「Q&A」方式のペア活動等で終わらせてしまうと、やりとりの大半は似たりよったりしたものになりがちです。となれば、皆が同じやりとりをしているわけですから、多少の人数が抜けてもクラス全体の様子は大して変わりません。働きアリがある程度集まってしまえば、さぼってしまうものが出てしまうのと似たようなもので、このような「みんなが同じようなやり取りを求められる」という環境下では活動に参加しない生徒が生じてしまうのかなと思います。そこで、活動は常に「生徒同士の回答が重複しない」ように、そこに「ユーモア」という形で、何かしらの工夫する必要があるのではないでしょうか。ここでは岡田先生の具体的な言及は省略しますが、有名な先生の活動には共通して「ユーモア」や「アイデア」が含まれていますし、そこでは自然と生徒の多様性が発揮される授業形式が考案されているように思います。よって、活動が盛んに行われるためには「生徒同士の回答が重複しない活動であること」が重要な条件であると思います。

条件2
生徒同士が相互干渉を許容する程度の関係性があること


そして条件2は「生徒同士が相互干渉を許容する程度の関係性があること」です。これに関しては「友達に自分の考えていることを知ってもらいたいとき、人に聞いてほしいとき」から伺えます。本当にいい学校であれば、条件1だけで何とか機能するのでしょう。ただ、条件1が成立しているだけで、活動が絶対に盛り上がるわけではりません。私は過去に塾で楽しい活動を行おうとして、惨敗した経験があります。発想としては「問題演習ばかりしていて、どうしても集中力を切らしている生徒が多かったので、息抜き程度の楽しい活動を入れてやろう、これはゲーム性もあるし、盛り上がるぞ」というものだったのですが、見事に惨敗でした。今振り返ればわかるのですが、塾という環境では、生徒同士が自己開示することは稀で、個別で勉強に向き合うのが当たり前の空間でした。彼ら個人にはしっかりとコミュニケーションをとるような能力はあるのですが、如何せん環境は「学習を個人内で完結させることが一般的」でしたので、活動はなかなか盛り上がりません。また、「仲のいい友達」とは活動を行うのですが、学校が違う生徒とは相互干渉するのが面倒と感じてしまう生徒が多かったため、やはり活動としては成り立ちにくかったのでしょう。 よって、活動が活発に行われるための条件には、根底に「みんなの意見を聞き入れるよ、今後も仲良くやっていこうよ」という雰囲気が欠かせません。これ自体は活動ではなく、教室や学校全体で生じた、いわば活動の外側の要因になります。有名な先生は「クラスが一丸となる」「クラスのみんなは仲間」であることを一番に強調される印象がありますが、このような心がけが何よりも活動を支えているのかもしれません。多くの本ではここまで書かれていることは少なく(というよりもうっかり見落としがちであるため)、荒れた・しらけた学校で「言語活動」を全く同じ手順で導入しようとしてもうまくいかないことに繋がっているのではないでしょうか。よって、活動が盛んに行われるためには「生徒同士が相互干渉を許容する程度の関係性があること」が重要な条件であると思います。 


条件3
「その活動が学習の手立てとして役に立つということが生徒に伝わっている」


上記のアンケート抜粋では条件1・2しかわからないのですが、私の持論では条件はもう一つあるように思います。それは 条件3「その活動が学習の手立てとして役に立つということが生徒に伝わっている」ということです。持論なので、あまり膨らましませんが、私の経験上、単なる「楽しいゲーム」だけでは(特に賢くて少し冷めたところのある)生徒は積極的に参加しないイメージがあります。有名な先生方の活動は、そもそもきちんと「指導」があった上で、その活用の手立てとして「言語活動」が取り込まれていることが多いのですが、活動のアイデアを拝借して行う場合には、指導法が先行してしまうことで、活動だけが浮き足立ち、いまいち学習上有効ではない場合があります。このような持込みの活動を拝借して行ってしまった場合、ノリのいい生徒は遊び感覚で活動を行ってくれはするものの、冷静な生徒は何をやらされているのか違和感を覚えてしまうような気がします。よって、大前提として、教師は活動を拝借して行うのであれば指導との関係をきちんと踏まえた上で、その目的が生徒に伝わるように徹底的に授業を構成し、「その活動が学習の手立てとして役に立つことが生徒に伝わっている」というものが条件になると思います。 ただ、この点に関しては意識しなくてもいい先生も多くいらっしゃると思います。というのも、基本的には生徒は「先生の言うことは基本的に正しく、私たちの力を伸ばしてくれる」というイメージを持っていることが多いです。「活動はユーモアがあるし、生徒同士の仲がいいのに、斜に構えて参加してくれない生徒がいるのはなぜだろう?」という場合はこれが原因であると思われます。

 以上が、自分の反省を踏まえた「活動を行う前に確認したい3つの条件」でした。あまり触れませんでしたが、この本で紹介されている『踊る英語御殿』という活動はぜひとも取り入れていきたい素敵なものでした。

参考文献
岡田栄司著 「荒れ・しらけと闘う!英語授業の鉄則&活動アイデア」明治書店