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2021年3月28日日曜日

"コミュ力"向上トレーニング

     

サラタメさん【サラリーマンYouTuber】で紹介されている桐生稔著『いまさら聞けない 雑談の一流、二流、三流』のまとめ動画である『【書籍 解説】雑談の一流、二流、三流|コミュ力おばけ養成講座』という動画をもとに,思わずクラス開きの際にやってみたくなる活動を提案します。 



身の回りには割と誰とでも円滑に会話を交わし、人間関係をスムーズに構築していく「コミュ力高い」人間がいます。一方で、会話の滑り出しが下手で、一緒にいても会話が続かない「コミュ力低い」人間もいます(「人見知り」なんて便利な言葉でお茶を濁すこともありますが)。


そもそも,この“コミュ力”をちゃんと定義しようとするととんでもない哲学のお話に陥ってしまうので,今回は「コミュニケーション能力」=「楽しく会話を展開する能力」と限定し,その育成を図ります



"コミュ力"を意図的に育成する?


「母語でできないことはハードルが高い!」

私が授業中によく感じることです。


当たり前のように「じゃ、1分間英語でお話してください!テーマは『レジ袋の是非』。どうぞ!」と指示を出すことがあるのですが,会話が停滞する生徒は決まって同じ。ただし,「英語ができない生徒」ではなく「お話が苦手な生徒」であるケースが多いのです。その子が話しやすいように話題を意識することもあるのですが,結局会話はあまり上手くいかないパターンが多いように感じます。


逆に考えれば。

1分間の発話量くらいに関して言えば,正確さについては「英語の知識」が影響するのでしょうが,流暢さについては母語の「コミュ力」に依存をするように思います。つまり,母語での「コミュ力」を上げてしまえば,英語の発話量上がるんじゃん?と思うわけです。



英語の授業のみならず,クラス内の人間関係の構築において,または行事の進行・運営していく場面においても,コミュニケーション能力が高すぎて邪魔になることはないように思われます。これらのソーシャルスキルトレーニングのような“会話の訓練”的なものは一切行われず,生徒が持って生まれた「外向性/内向性」程度で扱われがちですが,会話のテクニックを練習してクラス開きしたっていいじゃないか!と思うわけです。


Let's "コミュ力"向上トレーニング!


超重要なポイントです。


コミュ力(会話力)

 話の上手さ

 =相手に会話させる力



本書によると,「コミュニケーション能力の高い人物」とは一見イメージしがちな「話が上手な芸人」にあらず,「相手に気持ちよく会話させるMC」なんだそうです。つまり,話を面白くする劇的なオチだとか,キャッチ―なワードセンスなどは不要。むしろ,司会者としての相手の会話を引き出し,心地よいターンのやり取りを円滑に行うスキルが求められるそうです。


紹介されていたテクニックの中から,生徒に導入したいものを3つ選びました。



①【会話導入テク】
 挨拶+気づき+質問


1 スムーズな会話のスタートは挨拶から。


2 そして,会話を円滑にするために気づきを添えます。この気づきは何でもOKで,相手から読み取れる気づき,天候・気候・スケジュールから得られた気づき,自身の周辺状況などを挨拶にプラスします。


3 最後に,相手がリアクションしやすいように質問形式でターン誘導します。


―例―

【対同級】おはよう!今日は○○の宿題があったね。やった?

【対先輩】お疲れ様です。その○○,かわいいですね!誰かからもらったんですか?


 


②【万能テク】

 話者間の共通部→違いに注目する


会話が弾む要素の1つに、「相手との共通部を見つける」ことが挙げられています。簡単には見つけることは難しいと思いますが、それだけに価値があります。見つけたら、そこが会話の突破口。生まれ育った環境が異なる人間が100%一致するわけがありませんので、共通部が見つからなかった場合も、その共通部の違いに注目し、ルーツを探り、無理やり自分の特性を当てはめて共通部を作り出しましょう!



―例―

「自分は○○が好きなんだけど,○○好き?」


[Yesルート]

「一緒だ!自分は○○だから好きなんだけど,何で好きなの?」


[Noルート]

「えっ?何で?!逆に何が好きなの?」

→「それの△△な部分は私も好き!一緒だね!」



②【前提ルール】

 15秒以内に会話を回す


会話上手は「相手に話をさせる」のが肝。バスケットボールではボールを持ったまま4歩以上歩けばファールを取られますが、会話でも同様。個人が一方的に15秒以上話し続けると、それは「会話」の域を超え、嫌われやすい「愚痴」「説教」「独り語り」に陥ります。とにかく、楽しい会話の大前提は「自分のターンを15秒以上持たない」ことです。



クラス開きにやりたい「会話の練習」?


以上のまとめから、実際にクラスを指導する前に、簡単な自己紹介をペアでさせるよりも「会話ゲーム」をさせてみたほうが打ち解けやすく、なおかつ円滑に授業の活動が進む関係性を構築できるのではないでしょうか。「自己紹介」より「会話のテクニック+実践練習」のほうがクラス外でのコミュニケーションでも活かせる指導である点で優位なように思えます。


ー活動例ー


3つのテクニックを意識しながら,ロールプレイでおしゃべりの練習してみましょう!

[1回目]自分×自分

[2回目]先輩×後輩

[3回目]先生×生徒



まとめと本音


最近まで「自分はコミュニケーションが割と得意な方だ!」と思い込んで生きてきましたが、思い返してみると、私の思う“会話が弾む” = “自分の持ちネタで相手が笑う” だったのでは?と反省しています。


コミュニケーションは「双方のやり取り」であり、片方が一方的に支配できるものではありません。身近な「コミュニケーションが上手な人」を浮かべてみると、やはり相手の話をきちんと聞いている顔が浮かびます。「相手のトークを引き出す力」という大きなファクターを度外視してコミュニケーションを語ることは不可能ではないでしょうか。コミュニケーション英語の教科書には、表現するための文法や型はたくさん説明されていますが、相手との共通項のすり合わせや差異の明確化など、根底に求められる部分は特に明記されていないような気がします、あったらごめんなさい。


教壇に立つ人間として、生徒にお手本を見せる側として、一方的に「喋り散らかすコミュニケーション勘違い野郎」を量産しないためにも、まずは私もロールプレイに参加しながら、上手な会話力を身に着けねば、と思う次第です。

2021年3月14日日曜日

就職希望者への進路指導 ー令和編ー

    

今回は、リベラルアーツ大学『副業に興味がある人は絶対に身に着けておくべき3つのスキル【稼ぐ 実践編】』をもとに、就職を希望する高校生に対する進路指導を考えてみたいと思います。



高校教員は世間知らず?


進学校の定義は2つあると考えています。


①「難関大学に進学させる学校」

②「就職ではなく、短大・専門まで含めた進学を見据えた指導する学校」


私自身、就職希望がほぼいない「進学校」出身です。教員になるためには教員免許を取得する必要があり、そのためには大学に進学するのが一般的。よって、私に限らず「高校の時点で進学校に所属してきて、就職指導が身近でなかった」教員は一定数以上存在するはず。世に聞く「教員は社会に出たことがない」というやつですね。教員採用試験に向けて「キャリア教育」には目を通しましたが、「社会に出る前の準備としての教育」に対して、一般常識の範囲を超えたものは持ち合わせていませんでした。



一方で、「高校」と一括にしても公立高校は多種多様で、私立に採用される以外はどのような高校に赴任するかは人事次第。自身が経験した「進学を中心に指導する高校」の教師に空きが出ればそこに赴任することもあれば「就職を中心に指導する高校」に欠員が出て赴任することもあります。全く希望していなくともそこに赴任されるケースも多く、経験のない就職指導を手探りで行うことも少なくありません。


かつて工業高校で講師を経験し、現在は農業系の学科がある高校で勤務しているので、進路志望が「就職」が珍しくない状況。人事に対する不満とかはあまりないのですが、感じるのは「就職指導手探りだけどいいの?」という不安はありました。教員採用試験の勉強で「キャリア教育」とかを一応勉強したのですが、「就職先から見て、私の指導はニーズに合っているのかな?」という疑問は拭いきれません。指導要領を土台としているものの、「自身も経験した大学入試の突破」というニーズに合わせた授業を組む進学校に対して、そもそものニーズが不明瞭な状況で行う授業にもやもやを感じ、いつしか「国の方針である指導要領を盲信しよう」と腹をくくりますが、「学校生活の何に重きを置けば、生徒が幸福に近づけるのだろう?」という疑問は頭の中を渦巻きながら日々を過ごしています。



「従来の就職指導」に対するイメージ


「高校を卒業したら、就職を考えています!」

「よし!では残りの高校生活は基礎的・凡庸的能力を身に着けよう!


なんて会話を聞いたことがありません。


学習指導要領の「キャリア指導」において、学校では基礎的・凡庸的能力として様々な能力を育成するべきだと挙げられています。具体的には以下の4つの領域に下位分類されているようです。


・人間関係形成/社会形成能力

・自己理解/自己管理能力

・課題対応能力

・キャリアプランニング能力


雑に総括すると、「周りと上手くやり自身を理解した上で律し問題をうまく対処できる仕事好きな子ども」を育成しましょう!という趣旨が国の方針になります。確かに「良いこと言っているなぁ」と思う一方で、残念ながら体感でいうとあまり浸透してないイメージです。




一方で、リアルな「進路指導」では以下のような会話が展開されます。(偏見)


「高校を卒業したら、就職を考えています!」

「そうか。では残りの高校生活は内定をもらえるために、出席と提出物と部活を気をつけなさい。生徒指導を受けるなんて言語道断だからな!


従来の「就職」では、一つの企業に終身雇用され人生を全うするというのが理想な形でした。一度入社してもらえば、企業内で研修を通じて人材育成され、企業の中で一人前となり、企業に還元する。そのような「家族的な経営」が理想だったため、知識や技能うんぬんはさておき、企業から見放されることのないように、最低限の規則を遵守する生徒を育成することが求められている印象を受けます。


よって、校内では「校則の遵守」「提出物の徹底」といったことが重きを置かれ、それをもって1つの就職指導としている気がします。確かに、インターンシップへの参加・専門教育(工業・農業など)・面接指導等はされていますが、進路指導部や専門教育の教諭が中心として行われており、英語科の教諭・担任という立場で考えると、現状「就職のための指導」としては「規則の遵守」しか行っていない気がします。


一言でまとめると「組織人の育成」という意識が根底にあるのではないでしょうか。




終身雇用制度の崩壊


従来の企業は採用した人材を育成し、彼らの生活をある程度保証してきましたが、世の中は変化してきています。主な風潮は2つ。1つは欧米を中心に「成果主義へのシフト」、そして働き方改革による「ライフワークバランスの見直し」から生じた「副業の自由化」です。


1つめの「成果主義へのシフト」により、年功序列で給料が上がる想定が崩れます。つまるところ、自身で絶えず学習を続け、パフォーマンスを高めることが出来なければ、収入を高めることができません。


2つめの「副業の自由化」は、実際多くの企業で見られます。残業の規制・個人のスキル習得・人件費の削減に伴い、「一企業から給与をもらう」という勤労観は崩れ、自身でサブの収入を獲得する風潮が生まれつつあります。


従来であれば「規律を守る生徒を送り出せば、企業でぬくぬくと育ててもらえる!」と思っていましたが、成果主義では一定の研修期間を超えれば即戦力としての働きを求められるため、幅広い業種でも通用する一般的なスキルについては学校教育の中で培った上で雇用されなければいけません。また、一企業での働きとは別に、高校を卒業して副業の知識・技能を育成し、自身の収入を増やしていく能力も育てる需要が高まるように思えます。


 


次世代に求められる能力


以上の背景から、

「次世代の労働」=「ドライな雇用関係」+「副業」

と想定すると、従来の「組織人」としての教育では不十分なように思えます。
というわけで、次世代を生き抜く上で意識したい能力を3つ紹介します。



行動力

育成を図りたい能力の1つが「行動力」です。言い換えると「フットワークの軽さ」「瞬発力」とも言えるかもしれません。


従来の「基礎的・汎用的能力」の中で言えば「自己理解・自己管理能力」の解説に含まれる“前向きに取り組む態度”に該当する内容なのですが、埋もれてしまっているのでピックアップして強調したい能力のように思えます。


昨今、YouTubeや情報の手に入れやすさを踏まえると、興味関心を持てば自身で学習/実践を進められる環境が整っています


例えば、音楽が好きなのであれば、インプット面では演奏の技術・作曲を行う上での基礎知識・音楽編集するソフトウェアの紹介・流行している曲の解説。アウトプット面であれば、自身で動画を撮って配信。自身で調べ、身につけ、行動すれば、学校に在学中にでも活動することは可能です。


「今はまだよくわからないので、専門学校や然るべき教育機関に入学してから頑張ります!」「就労して、ある程度知識を蓄えてから行動します!」といった行動を先延ばしにする選択は、レールのない道を進むことの出来ない態度の現れであり、どこかで意識を変えなければ、おそらく一生行動を始めることがない気がします。



これらの行動力の育成については

・「情報収集能力(検索し、取捨選択する力)」

・「タスク管理(取り組む課題と順序の設定)」

・「成功体験」

を意識して課題を設定する必要があるように思えます。



より具体的に考えると以下の手順を踏むべきなのかもしれません。


①成功体験を感じ取れやすい機会の設定

 (文化祭や学習成果発表会等)


②情報収集のノウハウを指導

 (検索方法・まとめ方の指導)


③課題解決へのタスクのリスト化

 (タスクのリスト化+順序を整理する課題)


このような活動を通して、学級経営を行わなければならないのかなぁと感じました。

無論、「行動力」については年間を通じて強調したい能力なので、クラスのスローガンであったり、担任が口癖のように強調してやる必要があるのかもしれません。



時間管理能力


育成を図りたい能力の2つ目は「時間管理能力」です。先述の「行動力」の下位区分の「タスク管理」と共通する部分が大きいのかもしれませんが。


時間は有限であり、コストパフォーマンスを意識するのは非常に重要です。限られた時間の中でスケジューリングを行い、常に全体の進捗を意識しながら調整を行うメタ認知的なスキルについては、意識して育成を図るべき項目です。


この能力については、行事に限らず、普段の授業でも育成を図れる能力のように思えます。


・授業「制限時間の設定」

・HR「学習計画の設定」

・行事「行事までの進捗状況の確認」

・部活「大会までの練習計画」


このようなスケジュールを意識した活動を通じて、自身で「全体の時間を意識しながら、各作業にかける時間を調節する習慣」を身に付けさせる必要があると感じました。「不要なことに時間をかけすぎる」とか「一夜漬けの学習」といった効果の薄い活動を自身で排除する能力を身に着けさせる必要性を強調しておきます。



経済感覚


この項目が最も難しい能力のように思えます。育成を図りたい能力の3つ目は「経済感覚」です。経済感覚については、高校入学時にしっかりと時間を掛けて伝えたい項目の一つのように思えます。


経済感覚は従来の教育課程にもあまり含まれておらず、既存の活動に乏しいため現段階で私にも具体的な方法は浮かんでいません。


具体的には

高卒を対象とした求人票の見方

生きる上で発生する支払い(生活費&税金)

生涯賃金

資産運用

といった内容について、活動を通しながら学ぶ必要性を強く感じています。


この記事をまとめる上で参考にしたリベラルアーツ大学では「簿記3級の取得」を推奨していました。現時点で、個人的に簿記の勉強を進めているのですが、これをそのまま生徒に勧めることには賛成しかねます。というのも、現時点の体感なのですが、経済感覚の素地が全く育っていない生徒が多く、素地の育成を先に行わないと知識が上滑りしてしまうと考えるためです。


ただし、無断でアルバイトをする1・2年生と対峙したり、無謀な一人暮らしを計画する3年生と出会ってきた経験則から思うに、上記の経済感覚は最低限身につけた上で、自身で適切な判断ができるようになってほしいと心底思っています。



まとめ


「教員は社会を知らない」という言葉は、現代においても飛び交っていると思います。無論、「教員だって社会だろ!」と思う一方で、経済活動と接していない分、自身の知識不足を不安に感じています。


普段、教科指導のことで頭がいっぱいなのですが、進路指導や卒業後の生徒の姿を考えると、上記のような能力については指導してやらねば、、、と強く感じています。


具体的な活動等がうまくハマった際には、また紹介させてもらいます。


2021年3月6日土曜日

30代をどう生きるか

   

今回は、大塚寿著『30代を後悔しない50のリスト』をもとに、どのような30代を過ごすかを考えてみます。




気づけば30代の1年目を終えようとしていた


先週、散髪に行ったとき、ふと「美容師さんが年下だ」ということに気づきました。


転勤と結婚で引っ越し、美容院を変えて以来、現状固定の美容師さんはいないのですが、今回担当してもらった美容師さんは若めのおにいさん。会話もなく、黙々とカットする彼を見ながら、「何だか最近の子らしいなぁ、一切会話がないのかー。これはこれで悪くはないのかもしれないけど」なんてことを考えていたのですが、美容師さんが年下ということに新鮮さを覚えました。


帰りの車の中で「6月には31歳になるわけだけど、30代の1年が終わってしまうのかぁ」と改めてしみじみ感じていました。「30代を1年のスケールに置き換えてみると、『30代の4月』が終了し、今はGWあたりかなぁ?」と思いました。


30代のスタートにプロポーズ・転勤・引越・結婚、おそらく子育てが始まります。人生が激変しています。激動の30代が幕を開けたわけですが、これらの変化を特に意識せず受け入れている現状。今後も私生活が大きく変わっていくのだろうけど、意識しないと理想から大きくかけ離れてしまうのでは?と不安を覚えました。一方で、「理想の30代」というものに対してピンときていないことにもハッとします。





人生の2年生?


さらに、この生きてきた30年間を振り返ってみます。人生をおよそ90年間と想定すれば3分の1。人生を高校の3年間に置き換えて考えると、高校1年生を終え、高校2年生が始まります。様々な変化に対応しつつ、初めての行事に直面する高校1年のような30年間。そして、一通りの行事の2周目を迎える高校2年生が幕を開けるわけです。「最年少」というポジションから「先輩」にシフトし、色んな場面で上級生が引退していき中心的な層になっていく。「それらしい!」と思いつつ、一方で「60代から人生の3年生はちょっと無理があるかもな」なんてことを思っていました。




 


ボーッと生きたくない


高校生の頃、「人生に何度も体験できないことには妥協したくない」というのが何となくの信条だったのですが、この30年間を振り返ると、まぁそれなりに妥協せずに行動してきたのかなぁ?と感じています。疲れは寝れば取れるわけで、面倒臭がらずに全ての打席でフルスイングしていこう!的な生き方をしてきたつもりですが、歩んできた軌跡を振り返ってみると、決して現時点にまっすぐ歩いてこれたわけではなく、蛇行しながらここに立っているような気がします。確かに足を止めることは少なく歩み続けてきた(つもり)が、自身で目的地を設定しまっすぐ歩けてきたかは微妙かもしれません。ただ、本にも書いてあったのですが、「20代は種まき」らしいので、確かに色んな種は蒔いてきたかな?とも思います。


「この調子で歩んでいくとどんな軌跡を描くのだろう?」
「最終地点で『歩んできたこと』には満足するのかもしれないけど、到達地点に対しては満足できるのだろうか」
「自分はどう在りたいと望んでいるのだろう?」

ふと未来に対して疑問を覚えました。




自分のテーマを決める


『30代を後悔しない50のリスト』では、アンケートで1万人から30代の後悔を集約し、項目として50の行動指標が紹介されています。その1つに「自分のテーマを決める」というのが挙げてありました。



私の好きな人物の一人に筋肉少女帯の大槻ケンヂがいます。彼の紡ぐカリスマ的な言葉や佇まいに惹かれ、彼のような教祖的なオーラが欲しいと思うことがあります。


最近の人気漫画、呪術廻戦の五条悟というキャラクターも「かっこいい!」と思います。圧倒的な力に対する、軽率な性格にめちゃくちゃ惹かれます。


映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」で小栗旬演じる太宰治にも惹かれます。独特の色気と狂気に痺れます。



と挙げてみたものの、「実社会にいたら痛々しくて付き合いたくないかも」というようなキャラクターに魅力を覚えてしまう厨二病的な趣向なので、気をつけないとイタいテーマを設定してしまいそうな私ですが、これらのキャラクターに共通しているのは、「浮世離れ感」なのかもしれませんね。結婚式で妻からの説明文に「常識のある奇行師」と表現される程度には、既に枠組みを超えたキャラクターを確立しているのかもしれませんが、個人的にはまだまだ満足できていません。「圧倒的な存在」に近づく30代ってどうすごせばいいのでしょうか?(こんなことを真剣に考えている時点で滅茶苦茶凡人っぽいですけどね。)



得意な領域を極める


種まきの20代を終え、既に30代を迎えています。自分自身についてはある程度理解しているつもりです。「まだ若いんだから!」と言われますが、何かを0から始めるには少し年を食ってしまっている感覚もあります。よって、自分自身の得意分野を伸ばすことで、多少なりともカリスマ的なオーラを持てるようにしていきたいと思います。


・イベントを企画/運営する能力

・プレゼン能力

・学習をデザインする能力


このあたりのスキルを伸ばしていくと、自分の理想の姿に近づけるのかもしれません。逆に、ここに関わる仕事を蔑ろにする30代を過ごしてしまうと、理想からかけ離れた人生設計となってしまう気がします。具体的には行事・広報・授業については妥協せずに全力投球し、それ以外の業務はある程度スピーディーに処理してしまったほうがよいのかもしれません。



まとめ


今回は自省的な話になってしまいました。昔から「自分は40歳くらいで死にたい。自分の能力の限界を迎え、体の衰えで出来ないことが増えていく絶望感を味わうくらいなら、人生の絶頂で爆ぜ散りたい。」とほざいてきました。30歳になった現段階でも同様に考えている節はありますが、若干考え方に変化もあり「おそらく40代を迎えたときにも、能力の高まりや可能性を感じているのだろう。絶望ばかりではないのかもしれない」と思えるようになってきました。魅力あふれる30代を過ごせるように、時間を無駄にしないように暮らしていければなぁと思います。