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2014年3月1日土曜日

『高校中退』を読んで -知っておきたい高校中退-

本記事は宝島社新書 『高校中退』 杉浦孝宣著 を読んだまとめ・感想です。

高校中退するとどうなるのか

高校中退者は全国で年間5万人という無視できない数字です。社会を知らない中高生にとって、「高校卒業しないと社会でやっていけない」という感覚は実感しにくいようです。
では、中卒に待ち構えている中卒に待ち構えている現実とはどのようなものなのでしょうか。本書では以下のことがまとめられていました。

  高卒に対して10倍以上の差で就職先がない

Ø  さらに職種が林業・製造業等に絞られ、志望されない

  劣悪な労働条件

Ø  生涯賃金の格差が16500万円


このように、「高校中退」という進路を選択してしまうと、現状の社会体制では「本来個人が送りたかった人生」が叶わなくなるのではないでしょうか。高校中退にも様々なパターンがありますが、「何となく高校に通うことが違う気がする」といった漠然とした理由での高校拒否の場合は、その先に待っているさらなる不自由を教えておかなければいけないかもしれません。(もちろん、いじめ等が原因の場合はさらに追い込むことになるので、慎重な判断が求められると思います。)

どのような経緯で高校を中退したとしても、結局「高卒認定試験」「単位制通信高校」「編入・転校試験」を受けることで何とか高卒資格を遠回りしながら獲得するのが一般的なようです。この選択をしてしまった場合、中学卒業時から3年間で資格が取れるとは限りません。高校生にとっての1年間は非常に大きく、人より1年間長い学校生活は過酷と思われるので、苦しい思いをしながら高卒資格を獲得する前に何として「高校中退」は避けなければならないのではないでしょうか。

 また、本書『高校中退』では、高卒認定試験を目標としている塾の目線から実際に高校を中退した生徒の実態が紹介されていました。興味のある方は読んでみては如何でしょうか。(ただ個人的には、紹介されている内容に高等学校への批判が多く含まれており読んでいて心が痛みました。本書では「このような職業柄、高等学校の良くない面ばかり見えてしまう」という注意書きこそありましたが、仮に書いてある内容が本当なのであれば、大問題と成りうる内容が多数含まれていました。(生徒が圧倒的に不利になる時期を狙って退学させる、高卒認定試験の推薦書を送付しない等))


一方で社会は不登校・高校中退を許しがちである


現在社会における「不登校」という問題は過去とは少し変わってきているのではないでしょうか。学校に来ない生徒に対し教師は簡単に「お前、甘いよ」と言うことは許されず、世間には自分らしさを探求していこうという風潮が蔓延することで、「不登校にはそれなりの理由があるから仕方ない」とする社会の流れが存在するのではないでしょうか。その結果、親・子ども・学校が不登校というものを簡単に許容してしまいがちになっているのではないでしょうか。本来の教育とは「不登校を許容する」ことではなく、「共になって不登校と向き合う」ことなのではないでしょうか。高等教育ではしばしば「義務教育ではない」という言葉を盾に面倒な問題を家庭や生徒本人に任せきりの側面があるように思えますが、それは教育の放棄であることを自覚すべきであり、不登校・中退に対して「しょうがない」といった肯定的な態度をとることは本来あってはならないことでしょう。


不登校を立て直す3つの原則

著者は多くの高校中退者と接する29年の中で、不登校を立て直す以下の3つの原則を確立していました。

1. 規則正しい生活を送る

2. 学力を確立する

3. 環境を変える (転地する)

1.の「規則正しい生活」に関してはうつ病とも関連があるそうですが、ここでは説明を省略します。生徒の生活リズムは徹底して管理していかなくては、不登校をなくすことはできないようです。(以下は個人的な感想です。教師という職業は生徒の生活リズムまで管理しなくてはいけないものなのでしょうか。確かに「生活リズムまで管理する」と色々切り離して考えてしまえば、生徒は学校を離れているので本来の職務では無いように思えます。しかし、「生活リズムが不登校の第一段階に成りうる」と知ってしまったらどうでしょうか。生徒の生活リズムが崩れているのを知っておきながら「個人の自由だ」と判断できないのでは、と個人的に考えてしまいました。となれば、教師は生徒が自立するまでどこまで支援しなくてはならないのでしょうか。うーーん、、、)

2.の「学力を確立する」に関しては、『学力がなければ高校も卒業できず、大学にも入学できない』と短く書かれているだけでしたが、非常に共感する部分がありました。学校とはその時間のほとんどが学習に使われます。授業内容が理解できる程度の学力があれば、その内容に注意が向かうので何とか教室に留まることはできるでしょうが、その学力がなければ、授業についていけず授業中の時間は軽い拷問と成り代わっていまいます(大学では興味のない授業は出席しないことが許されていましたが、高校は強制参加です。自身の大学時代を振り返って比較してみると、高校生ってスゴいなぁなんてわけわからない感想をもらしてしまいます…)。よって、不登校にさせないために必要な要素の1つに学力が挙げられるようです。逆に言えば、勉強の出来ない生徒には不登校にさせない配慮が必要なようですね。

3.の「環境に変える」とは、本書内では一般の高等学校とは別で存在する高校教育制度が該当します。現状では通信制高校が一般的なようですが、この通信制高校の大きな問題は生活が不規則になってしまい続かない恐れがありますので、定時制高校や高卒認定予備校なども視野に入れておくべきでしょう。教師が受け入れ先を知っているかどうかは大きな違いを生むと思います。無理に生徒を学校に縛り付けたり、無慈悲に退学申告させず、次の環境に身を移す選択肢を持つことができます。容易に使うカードではないでしょうが、持っておきたい切り札かもしれません。




本書を読んでの一番の感想は、「教育放棄の概念の拡大」です。規則に従った上での退学宣告、不登校を「仕方がない」と言って様子を見る、これらの行動は一見教育的に見えるもののきちんと考えてみれば、単なる教育の放棄に該当するのではないでしょうか。一方で、大勢いる生徒全員の生活にまで注意を向けることは不可能です。結局、「やらなければならない・やった方がいいことは多いけど、現状ではやるだけの方法・時間・人材が足りてないんじゃない?」というどうしようのないところに行き着いてしまいます。が、これも個人の意識で変えることの出来る部分もあるかもしれません。不登校と向きあう日がいずれ来るかもしれません。考えるいいきっかけになりました。