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2023年2月13日月曜日

2022年の振り返り

 2022年概要

  • 英語科主任になる

  • 3学年主任になる

  • 学校HP担当になる(昨年の分掌の業務に上乗せ)

  • 情報推進 主担当 継続(遠隔教育主担当兼任)

  • 吹奏楽部 主顧問 継続(創立百周年式典の記念行事担当)

→ 中高連携業務や授業軽減措置もあり,校内での授業が週8コマとなる

→ 育児との兼ね合いで,遅出勤務&定時退勤で時間外勤務を極力減らす


授業の少なさが生む焦燥感

 2022年を振り返ると,「何か英語からまた一歩遠ざかったなー」と思う。

通常,今の勤務校では各教員が週17コマの授業を担当する。私は,学校の取組として,週5コマを中高連携としてT2での授業参加を求められる。また,情報推進の主担当として4コマの軽減措置が適応される。校内の人事配置的な事情でこれらを兼任してしまったので,私の担当授業は通常の教員の半分程度である週8コマとなってしまった。(さらに言えば,2月以降の3年生が自主登校になってしまうと週2コマになるのだが,まぁこちらについては珍しくもない話だと思う。)

年度当初は「残った8時間、妥協なく授業を実践させる!」と意気込む気持ちもありつつ、「楽でいいなぁ」と楽観的に捉えている節もあった。実際にこれらは概ね正しい予想だった。情報推進の主担当として,教材や課題をデジタル化し,少ない接点でも生徒が自走して学習を継続できるような仕掛けづくりを仕込むのに,割と時間を費やした。配信型の課題のストックが増え,雛型としてはしばらく使えそうな素材を準備することができた。「いつか授業を同時並行で持ったとしても,配信ポチポチで,効率の良く学習展開をサポートできるぞ!」と思わなくはない。

ただし,そこに惜しみなく授業に全力を捧げられるような悠久な時間はなかった。勘違いしていたのだが,訳もなく授業が少ないわけではない。つまるところ,授業の時間の代わりに別の業務を充てられているだけであり,授業に注げる時間は増えないのだ。結果的に「目の前にある少ない授業でさえ,全力で取り組むには『何か』忙しい。」と潜在的に悩まされてしまう。『何か』忙しい,というのがポイントだ。新たに抱えた業務は,基本的には事務的なものか連携的なものが多く,確かにそれらは必要な業務であるものの,一つ一つは取るに足らない内容である場合が多い。結果,達成感が得られないため,一日の終わりに「今日は暇ではなかったのに,何をしていたのか思い出せない…?」という日も少なくなかった。年齢を重ねるとはこういうことなのかもしれないとは覚悟していたが,まさか勤務校2校目の3年目で経験するとは思っていなかった。これが私の専門性を評価された任命であれば自尊心を糧となりそうだが,どうやら小さい学校でのたまたまの人事配置の関係で玉突き的に降ってきた事故にすぎない。

このような状況だと,生徒に対する影響力の減少に焦燥感を覚える。授業をたくさん持っているときには,良いことだけに目を向けて,「これだけやってきたし,何かが効果なかったとしても,他の何かが効果があるだろう」と楽観的に取り組むことができた。成功事例を噛み締め,再現性を求める。失敗事例については,初めからなかったことにすればよいし,むしろ成功の再現に意識が向くので頭にも過らない。上手くいった生徒に意識は向き,彼らの複製を企てワクワクする。しかし,持ち授業が減り、バッターボックスに入る機会が減ってしまうと、打てなかった球が気になって仕方ない。綺麗な放物線を描いた打数が少なく,それ故、打ち損じた打席が強く印象に残る。そうすると,不思議と私の意識は以前よりも明確に、取組の悪い生徒に対して向いてしまう。いままでのような自己満足に浸れない。生徒の適性や志向を問わないような,教員の誰もが夢に見る最強の学習方法の立案を夢見る。優れた英語教師であれば,就職希望・進学志望・毎日の登校が困難な生徒といった多様性のある教室でも根こそぎ勉強に向かわせることができるのかもしれないが、あいにく今まで都合のいい部分しか見てこなかった自分には無理な話であり,何とも言えない焦燥感とストレスに苛まれる。ストレスと対峙しなければならないとき,私はしばしば合理化を試みる。つまるところ,「教員ができることなど,初めから大したものではない」と自分を慰めるようになりかけている。先日,「生徒は武勇伝で語れるような,新海誠作品で描かれるような高校生活を望んでいるわけで,その理想的な生活に学習はむしろ望まれないものなのではないのか,もう勉強なんてやめてしまった方が最大多数の最大幸福なのではないのか」と同僚に漏らしてしまった。根腐れしないか将来の自分が心配である。なお,未確定だが,来年はさらに授業が減るらしい。

と、ネガティブなことを綴っても仕方ないので、頑張るベクトルを設定する。少量を与えて最大限の成果を生むことに固執するのでストレスが生じていた。例えば、与えた課題の6割しか身に付かなかったとして、その取りこぼされた4割を気にするのはやめる。6割で消化されるのは仕方がないと割り切り、今までの2倍課すことで解決する。これができれば、今まで気にしていた取りこぼしの4割に対し、追加でぶつけた課題が6割身に付けばおつりがくる。従来であれば、全員に課題を準備し、それを回収の業務にはそれなりの時間が割かれていたが、配信の機能を活用すれば印刷や回収の過程は気にせずに済む。全員の集中力を維持するため!と言い訳しながらやってきた雑談も減らそう。生徒のインプットを増やし、アウトプットも増やし、量で攻める。どこまでいっても、性格的に質に対するこだわりを捨てきることはできないので、量に対して意識を強く持とうと思う。無造作に量を増しても真面目な一定数はやってくれるだろう。量を増やしつつ、達成感を感じられる仕掛けを意識しながら大量の課題を投下したい。


部活ってどこが終わりなの?

 英語の授業の次に,私がやりがいを覚えるのは部活動の指導だろう。教員を志す過程で部活動の指導に憧れを抱いたことはなかったが,業務に主顧問が割り当てられ,それ相応に時間を費やしていると,自身の経験を重ね,気持ちも入ってしまう。幸か不幸か,現在の部員のモチベーションは高い。部員に部活の時間設定を委ねると,なかなかのスケジュールを提案される。長い活動時間にはそれなりの目標設定が必要であり,部員たちのモチベーションの維持や個人差を埋める必要がある(必須の要素ではないとは思うものの,モチベーションの差で部員同士の人間関係が拗れてトラブルが起こる方が面倒臭い)。かくして,生徒を焚き付け,毎日の放課後2時間と毎週土曜日を部活に注力することとなる。それらしい目標設定の達成に向け,さらに活動は増え,さらに発展していく。部活に限らないが,目標に現状維持を掲げるのは何故か格好がつかない。成功はハードルに代わる。

現役はチャンスが限定的である一方で,指導者には任命される限り無限に挑戦の場が与えられる。かくして,期待感が業務のビルドアンドスクラップを許さない風土を醸し上げる。活動の発展を期待するのであれば組織の強化が必要であるが,校内の人的資源は常に限界寸前であり,外部委託できるような援助については明るい情報はない(制度がないわけではないが,依頼できる人材が都合よく見つからない)。うだうだと言い訳を並べてみたが,折り合いの付け所がわからないから頑張るしかない,というのが現状である。他の仕事に比べれば,達成感はある。ただ,妥協点が不明瞭で,どこか不安でもある。

 地方公務員法第30条には,「すべての職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当たっては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。」とある。そう,全力を挙げなければならない。「全力」が勤務時間外までを指すかは触れられていないが,残念ながら教員の勤務時間に対する貞操観念は緩めな気がする。独身時代の自由な身であれば,自分自身の献身だけで済んだものの,今は事情が違う。休日に息子を風呂に入れ,彼のシャンプーをしているときにふと「人生において,家族との団欒を享受できるタイミングはそう長いわけでなないのだろう」と考えることがある。10年後の教員生活は想像に難くないが,10年後の息子のシャンプーについては少し難しいものがある。もちろん,子どもという言葉の定義から言えば,息子も生徒も子どもかもしれない。が,少なくとも生徒は家族には該当しない,私は「この学年は家族だ!」という熱いテーマを設定するような性分は持ち合わせていないので。今一度,部活動を始めとする教育活動全般において、成績ではない部分での達成目標を定義し、全力の注ぎ方を検討すべき時期なのかもしれない。


学年主任の理想像なんてもっていない

 今年度、学年主任になった。担任は初任校で3年しかしていないのに。まさか気にも留めていなかったので、学年主任の仕事振りを中止したこともなかった。わからん。

 勤務校は2科あり各1クラス。担任は初任校で、副担任も若い先生が充てられている。そして3学年。半分は今までに授業でしか関わってこなかった生徒たちで、もう半分は授業も持ったことがない。わからん。

 歴代の学年主任からの引継ぎも断片的にしかない。というか、ほぼない。校内の年齢構成的に、自分に学年主任の声がかかるのは若干覚悟していたが、まさか途中登板することになるとは思わなかった。

基本的に担任の先生が動きやすいように先に道を歩いてみて、障害物を潰すのが仕事なのかと思って動いてみた。さらに、使用した資料はわかりやすく番号を振り、データ化して、次の学年主任に引継ぎ作業がなくともこなせるように整備したつもりだ。

振り返ると消極的な学年主任だったと反省している。学年集会は一度も開かなかった。年度初めにタイミングを逃し、年度途中から「突然誰?」と思われるのが嫌だったし、クラスごとに卸してもらえば済む話ばかりだった。ただ、今思えば、初任校の担任に対して指針を示す立場だったと反省している。もっと「俺の学年だ!」くらいのリーダーシップを発揮しても良かったのかもしれない、例え突然校内の玉突き事故でやってきた3学年主任だったとしても。今までの学年会のカラーもあるから、そちらに染まっていけばいいか、と思って動き出してしまったが、冷静にその学年団を見れば学年主任・副担任・学年付きが新参という、70%超が入れ替わったほぼ新組織であり、担任は初任者なので、「今まで」もなかったのかもしれない。初任者の頃、もっと枠があった方がカラーを出しやすいと感じていたのを思い出す。ルール作り以外にも、守り方の指導が残っている。担任に対して、ルール作りまでさせるのは違うと改めて感じた。(もちろん、意見を反映させる調整役は必要だと思うが)

科を超えた学年の統一感は、他学年を見てもあまり見られない。来年も学年主任をお願いされたら、カラーを出していきたい。(でも、本音はもうやりたくない。せめて1学年からと思わなくはないが、それはそれで決めないといけないこと多そうだし。)



気づけば2月中旬。今年の振り返りはちゃんと年末に書き上げたい。


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