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2021年6月27日日曜日

正しい「やりたいこと」の見つけ方

今回の記事では、八木仁平著『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方 人生のモヤモヤから解放される自己理解メソッド』を基に、生徒の「やりたいこと」を一緒に考えるときの手順をまとめてみます。

本書は、中田敦彦や、サラリーマンYOUTUBER「さらためさん」でも取り上げられていました。


教員は「安定志向」を好みがち?


まずは超感覚的な話です。

生徒から進路志望を集めた際に、個人的に「えっ、、、」と思うような職業は以下のようなものです。


・声優

・イラストレーター

・ゲームクリエイター

・芸人 or 芸能人


上記の仕事は、直感的には手放しで応援しづらい職業です。理由を聞かれれば、「狭き門だから」とか「挫折した際に潰しが効かなそうだから」といったそれらしい理由を伝えることは出来ますが、実際のところはよくわかりません。完全なイメージで語っていることに気づきます。(とは言ったものの、上記の職業ではあまり「学力」を軽視しそうな傾向があり、進路希望が変化したときには取り返しのつかない可能性があるために、急いで個人面談を設けて覚悟や保険的な対応を行っているだけなのかもしれませんが。)


一方で、以下の職業を進路希望に書かれた際には、どこか安心してしまうような気がします。


・国公立へ進学

・看護師

・公務員


上記の仕事を進路希望に書かれて提出されると、なんとなく「速やかに声を掛ける必要はないか、、、」と判断してしまいます。おそらく、「とりあえず学習は必要だろう」と本人も考えてくれていそうだから、という理由を挙げることはできるのかもしれません。


しかし、よく考えてみれば、この判断は「自身の通ってきた道」が故に、何となくの安心感だと判断しているだけであり、実際にはこれらの職業を志せば幸せが確約されているわけではありません。


そこでふとした疑問が生じます。
「どのように進路志望を決めれば、生徒(を含む我々)は幸せになれるのだろう?」


以下では、天職を見つけるために必要な3つの要素を考えてみます。




①「大切なこと」(価値観)


進路希望を考える際に考えたい要素の1つは「大切なこと」です。言い換えれば、「自身の価値観」と言えるのかもしれません。この要素が抜け落ちると、「好きで、やりたいこと」のはずなのに、その先に違和感が生じるパターンが発生します。例えば、「収入の低さ」や「安定感」はここに直結します。本人の趣味嗜好とは関係のない部分での「在り方」を適切に考えなければいけません。


具体的には、以下の問いに対する答えを改めてじっくり考えることで、自身にとって大切なことを見いだせるのかもしれません。


Q. 「あなたはどう生きていきたいですか?逆に、どのように生きたくないですか?」


答えは人によって違います。例えば、「肉体的にしんどいことはしたくない」「貧乏はいやだ」「直接的に人を喜ばせたい」といった回答が考えられます。ここから、「やりたいこと」を考えていくアプローチは非常に重要だと感じます。


私を例に挙げると、私は元来「目立ちたがり屋」で、自己顕示欲の強い人間でした。よって、「承認欲求が強い」というのは、否定できない要素だと思います。一方で、私は中学生にときに曽祖父を亡くしたのですが、その曽祖父の死後、あっという間に遺品整理が進み、彼がいた形跡がまもなく無くなったのに触れた際、何とも言えない「諸行無常」を感じました。そのときから「自身の人生では、後世に何かしらの影響力を残したい」と考えるようになりました。これらが私の土台を築いている価値観の大きな部分だと考えます。これらを満たせる職業を考えた際には、「教師」という仕事はかなり適性が高い職業のように思えます(というか、信じています)。




②「好きなこと」(関心)

進路志望を考える際に、押さえておきたいポイントの2つ目は「好きなこと」です。言い換えれば「関心」と言えるでしょう。最もオーソドックスなアプローチのように思えますが、敢えて一度、再考してみましょう。進路希望を考える際の「好き」はどのように捉えればよいのでしょうか。


本書で語られた「好き」は、「お金を支払ってでも学びたいと思える内容」であると位置づけています。重要な要素としては、「専門性」に置き換えられる点です。例えば、生徒に「何が好き?」と単純に聞けば「寝ることが好き」というケースも想定されます。しかし、それは「深めたい」という意味での「好き」ではなく、単純な快楽的な「好き」だということを気をつけなければいけません。この点を軽視してしまうと、純粋な回答により明後日の方向へと遭難確定です。(「寝ること」「綺麗な女性」「ゲーム」「アニメ」など)


よって、尋ねる際には以下のような形式が好ましいように思えます。

Q.「あなたがお金や時間を払ってでも向き合いたいことはどんなことですか?」

こう聞くと、案外なかったりするのかもしれません。パッと浮かばなければ、消去法で考える必要があるのかもしれませんが。


若干、話は逸れるかもしれませんが、大学時代の友人との会話を思い出しました。飲み会でちょっとした議論が起こります。私は以下のような主張を行いました。「好きなものを、その理由を分析的に考え、言語化することを通じて、本人の趣味嗜好を捉え直すことで、改めてより多くの『好きなもの』と出会えるのではないだろう。だから、好きなものについて言語化することは重要である!」一方で、友人は次のようなことを言いました。「『好きなものは好き』というか、あくまでも直感だから、その理由を考えても、あくまで取ってつけたようなものであり、それは因果関係にはなりえない。だから、それらの要素を持ち合わせた同類のモノを並べられても、結局は何かしらの別の理由が湧いて出てきて選択されない。だから、好きなものの理由を考えるのは、本質的には意味がない。」


この話を読まれて、あなたはどちらに共感しますか?今の私は完全に、友人の話が刺さっています。確かに、「好きなもの」の共通項を分析することで、別の進路先にすり替えさせるアプローチも可能なのかもしれません。ただ、本質的には「好きだから好き」という要素も無視してはいけないのかもしれませんね。如何にせよ、「関心」は重要なファクターになり得るということを強調しておきます。




③「得意なこと」(適性)



3つ目の要素は「得意なこと」です。言い換えれば「適性」でしょう。高校生ともなれば、ある程度自身の適性に対して気付いている場合が多いです、特に負の方向については。しかし、改めて、①や②で挙げたような「価値観」や「関心」とは切り離して、自身の「適性」について考え直すことが必要なのかもしれません。本書では、「得意なこと」はピンと来づらいかもしれないが、「他人がやっていて焦れったく感じる場合を想像しましょう」ということが挙げられていたりしました。このような場面を分析的に考えることで、自身の適性を再発見できるかもしれません。


尋ねるとしたら、以下のような形です。

Q.「あなたが他人と比較し得意なことはなんですか?また、他人が困難をしているのを見て違和感を感じたことはどんなことですか?」


この要素については、若干難しさを感じました。というのも、進路希望が見つからない生徒をイメージしたときに、彼らが「得意なことなんてありません。」と言いそうだからです。(実際尋ねてみると、案外サラッと答えるのかもしれませんけどね。)この要素については、「高校生活の中で、身につけたいと思うことでもいい!逆に、卒業時に『得意になった』と言えるような取組を併せて書いてくれたら、何を書いてもいいよ!」と言ってあげるべきなのかもしれません。逆に、生徒が「得意にすべき要素」を見抜き、行事や部活でちょうどよい経験をさせてあげるべきなのかもしれません(コミュニケーション能力・タスク管理・デザイン・企画・リーダーシップなど)。




共通部分に「天職」がある!

上記の3つのポイント、「大切なこと」「好きなこと」「得意なこと」の重なり合った部分の職業を考えたときに、その個人にあった天職があることになります。一方で、実際にはそんな都合の良い仕事は、あまり世間になかったりもします。結局の所、本当の「天職」を求めた際には、自身で仕事を生み出す他ないのかもしれません。


しかし、「結局は起業するしかないよ!」という結論で投げ出したいのではなく、あくまでも重要なのは、「これらの要素を完全に見落とした進路選択をすると、どこかしらで志望を大きく変える可能性がある」ということです。前もって、上記の内容については、個人面談なり何なりで確認をしてあげてもいいのかもしれません。特に、進路希望が全く定まらない生徒に対しては。




まとめと本音


以前まとめた「絶望に強い生き方」でも説明したように、人生において希望をもたない人間はとても脆弱であるようなので、進路希望といった強い意志は早めに見つけさせておきたい要素だったりします。


一方で、実際に「進路志望を考えてきなさい」で決めてくることができる生徒は多くないです。実際に困難となる原因の多くは「好きなこと」だけで仕事を考えようとするからではないでしょうか。子どもが好きなA君は『保育士』を仕事にすることができるのかもしれませんが、寝るのが好きなB君は『睡眠』を仕事にすることができるのでしょうか。進路を選択する際に考慮しなけれならない3要素のうちの何かが欠落している可能性を考え、3つの要素を整理し、一緒に組み合わせを考えないと、苦手な生徒は中々進路を選択することはできないのかもしれません。


私は塾講師のアルバイトから考えれば、生徒と呼ばれる人と12年間関わせてもらったのですが、実際、その生徒たちの現在をほとんど把握できていません。そういう点で、大人になったときに同窓会に呼んでもらえる機会って、答え合わせ的な意味では、超絶大切なんじゃないのかな?と思ったりします。同窓会に呼ばれるような関係性を作ることは大切なのかも、、、と思うと、教員にとって人望は極めて重要だと改めて感じました。笑


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