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2021年1月3日日曜日

【LHRネタ帳】本当に弱者は美しいのか?ニーチェ「ルサンチマン」を通じて

 哲学者ニーチェは「ルサンチマン」という概念を提唱した。「ルサンチマン」とは「強者に対して、弱者が仕返しを欲するモヤモヤ」。

 人間は、己の存在意義・拠り所を求めるべく、自身より優れている人に対して何かしら理由をつけ、自身のほうが勝っている理由を探す。そして、時にその解釈は曲解を生み、誤った解釈を引き起こす。

 例えば、「人は外見ではない」という言葉は、「外面の美しさの否定」でとどまらず、「外見が優れた人物は、内面では優れていない」という曲解を生むことは少なくない。ルックスの良い人を見ると「内面は怪しい」と思いかねないし、逆にルックスの良くない人を見ると「性格が良さそう」と思ってしまうのが世の常である。もちろん、「イケメンっぽいクズ」や「愛すべき醜男」も浮かぶ。だが一方で、世の中には「性格すら良いイケメン」や「マジでどうしようもない醜男」も割といる。「金持ちは性格が悪い」とか「アホな方が世の中楽しい」といった言葉もよく聞くが、「性格のいい金持ち」や「人生を満喫している賢者」だって割といるはずだ。

 強者がすべての点において勝っていたのであれば、弱者はツラい。「凄いあいつも、どこかで劣っていてほしい!」と願い、それが具現化されたドラマや小説が生まれ、それらを通して弱者は心を潤す。しかし、それはフィクションの中の一例でしかなく、世界の真理ではない。実際、「凄いあいつ」は多くの点で、自分より凄い。


 さて、「ルサンチマン」というフィルターを通さない世界を考える。「弱者は負けていて、強者は優れている」という言わば「弱肉強食」だけの世界。「何だか救われないなぁ」と思うが、都合の良いフィクションのような大逆転劇は珍しい。珍しい故に話題にもあがるが、蓋を開ければ、結局のところ、泥臭い努力だったりする。要は、「ルサンチマン」は虚構に過ぎず、世間は割とシビアにできている。

 「あっ、これは『ルサンチマンだ!』」と気付き、世の中を正しく捉え、日々コツコツ自己研鑽を行うしかないのかよと、高校時代、国語の先生の机に貼ってあった『凡人よ、時を惜しめ』(手書き)を思い出す。TSUTAYAで借りた『ドラゴン桜2』と、最近お気に入りのYOUTUBEチャンネル「ぴよぴーよ速報」を通じて、ぼんやり思いました。

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