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2021年6月13日日曜日

絶望に強い生徒を育てる 『夜と霧』

今回の記事では、ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧 新版』を基に、「絶望しない心の在り方」について考えてみます。



「アウシュビッツ強制収容所を生き残る心の在り方」


本書は、精神科医の著者が、ユダヤ人という理由でアウシュビッツに強制収容された、自身を含む人々が絶望していく様子を回想した内容。劣悪な環境に置かれた人々の精神的な変化を観察し続けた筆者は、「絶望しやすい人」と「希望を持ち続けられる人」に気づきます。


以下では、本書を通じて、生徒が社会に出ても絶望せずに生きていける、そんな心の在り方の指導を考えてみます。





「外部への期待に依存する人は絶望に耐えられない」


本書では「自分の外側に期待する人は絶望に耐えられない」と挙げられていました。


具体的には、以下のようなエピソードが語られていました。


クリスマスに開放されるという噂が広まったものの、その1週間後に大量の自殺者が出た。「自由にしてもらえる」という期待感が裏切られた途端、絶望してしまい、命を落とす人が急増した。


「自分の力でコントロールできないこと」に期待を抱くと、人は絶望に対して弱くなるようです。「自身の力でコントロールできない」というのは、言い換えれば「他者の意思決定に依存をする」ということ。つまりは、「誰かに好かれたい」とか「誰かから選ばれたい」などが挙げられます。また、「自分は何をしたいのか」ではなく「自分はどうされたいのか」という形で語られる希望は絶望に結びつきやすいとも言えるでしょう。


教育現場に当てはめて考えてみましょう。例を挙げるならば「生徒会長に選ばれたい」という願望。「選ばれる」というのは、他者に依存する形の願望です。どれだけ頑張っても、生徒会長になれるのは1名ですので、全員が達成することは出来ません。



「自身で希望を掴み取ろうと考える人は絶望に強い」


絶望しやすい人がいる一方で、困難な環境でも絶望しづらい人々もいることが本書では挙げられています。筆者もそのうちの一人として挙げられるでしょう。彼は、アウシュビッツに強制収容されている間、「外に出ることが出来たら、このアウシュビッツの中で起きている人間の心理状況についてまとめ上げ、照明の差す壇上で公演を行う」という希望を持ち続けたことで生き残ることが出来たそうです。


自身の「受け身」な希望を抱くのではなく、自身の「成し遂げたい、能動的な行動」を目標に掲げることは、絶望に対して耐性を生むようです。確かに、外部に対する期待は裏切られた場合は多くの可能性を失ってしまいますが、一方で、自身の成し遂げたい行為については、多少の挫折が生じたとしても試行錯誤の一過程に位置づけられるだけであり、別の工夫を行うことで希望の達成に結びつきます。


先程挙げた、生徒会長の例で考えてみましょう。ある生徒が「絶対生徒会長になる!」という希望を打ち明けたとします。この「生徒会長になる」という希望は、言い換えてしまえば「選ばれる」という要素を持っており、これは直接影響を与えることの出来ない外部要素の強い希望です。一方で、この「生徒会長になる」という希望を、「とにかく自分は、この学校をより良くしたい」という希望に置き換えることが出来ていたらどうでしょうか。仮に生徒会長に選ばれなかったとしても、学校を良くする可能性は残されています。


我々教員は、生徒から他者依存の願望を聞いた際には、自然な形で「自身の力で、何を成し遂げたいのか」に置き換えてあげる必要があるのかもしれません。「絶対に〇〇になりたい!」という希望を聞いた際に、そこには「選ばれない」という可能性が残ります。他者に依存する希望については、その先の目的を明らかにし、何のためにその希望を掲げているのかを改めて問う必要があるのかもしれません。



まとめと本音


本書では、「そもそも希望を持たない人間は最初に命を捨てる」と触れられており、改めて進路希望等を聞く際にはその生徒の価値観を慎重に見定めないといけないと感じています。


特に、学力の高くない生徒には学習面での劣等感や挫折感を感じている場合が多く、高校に入学した瞬間から既に勉強に対して絶望感に似たものを抱いている場合が多々あります。また、進学希望を出している生徒に対して進学希望先を尋ねても、よく話を聞いてみると「もう勉強したくないから、就職したい」と簡単に置き換えられてしまうケースが多いように感じています。(さらに言えば、「ではどのような形で働きたいの?」と尋ねても答えられなかったり、はたまた進学が必要な進路希望先を答えたりされて戸惑ってしまうことも多いです。もちろん、絶対に進学しなければいけない、とは考えてはいませんが。)


私は、学習に対する挫折感を抱えた生徒に対して、入り口の段階で「やったら意外と出来るじゃん!」と感じやすい、ディクテーション活動やパラフレーズによる英作文指導を行うことが多いです。しかし、結局このような処方箋的な活動は、あくまでも応急処置に過ぎず、「自己肯定感を高める活動」だけで学力を固めていくのには時間上の制約から限界があると強く感じています。苦手意識を払拭した先に求められるのは、挫折を超えたステージから新たな目標を打ち立て、それに向けて計画的に取り組むことだと痛感しています。


そして、新たな目標を建てさせる際には、「何を成し遂げたら、君は幸せを感じられるの?」と尋ねようと思いました。

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