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2021年6月20日日曜日

キチカワ的 「文化祭」VS「担任」

 今回の記事では、文化祭で企画・運営する生徒に対してどう関わっていくべきなのかの私見をまとめます。


行事は重要?負担過多?


私は学生時代より、行事が大好きな人間でした。基本的に何でもかんでも請け負いたい体質で、代表に手を挙げては、リーダシップの至らなさで、今思えば周りに多大な迷惑をかけていたと思います。というのも、当時の考え方は以下のようなものでした。


「文化祭という『THE 青春』らしいものに関われるのは人生において数回だけ!残りの人生で後悔しない形で参加したい!」


今となっては、高校で教員をしているので、立場こそ違えど、人生で毎年のように文化祭を経験しているので「何じゃそりゃ」という感じですが。兎にも角にも、私は割と行事が大好きな類の人間です。日々が忙しなく進行していき、スケジュールがギチギチに詰まっている感覚と本番の達成感が格別です。また、人間の意外な一面が垣間見えるのも好きですし、「スターになった!」と勘違いしてもギリギリ許されちゃうような空気感がたまりません。


一方で、教員には行事が嫌いな人達も少なからずいますよね。「自分は勉強を教えるために教師になったわけで、生徒の関係性の悪化や諸手続き等、本来の仕事ではない!」というのが主な理由みたいです。正直、滅茶苦茶理解できます。特に、勤務時間を大きく超えても準備をしてくださっている生徒会担当の先生や、人間関係に頭を悩まれている担任の先生方に対しては、思わず「確かに現行の行事って『本来の教育的目的を考えれば、過剰な企画』だよなぁ」とも思います。


私は単純に行事が好きなので、積極的に関わってきましたが、その中で気づいた「上手な運営方法」をまとめながら、そこで生まれるメリットを改めて整理して考えてみたいと思います。


余談ですが、当時お世話になっていた担任の先生に「どうして教員になったのですか?」と改めて尋ねた事があるんですが、その際に彼は「行事が楽しくてね!」とおっしゃっていたのを覚えています。




学年によって関わり方を変えるべき


文化祭への関わり方は、文化祭を経験した回数が大きく影響すると考えます。


まず、1年生は初めての文化祭です。確かに、生徒の中には中学校までに文化祭を経験しているのですが、高校やその学校の文化祭とのチューニングができていません。また、基本的には関係性がある程度出来上がった中学3年生の頃の文化祭のイメージを引用するため、新たな人間関係を考慮しきれていない状況で企画を進めていくことになります。


そして、2年生と3年生でも位置づけが違います。よって、各学年での声掛け等も異なると思います。それぞれの学年をピックアップして、現在の私なりの暫定的結論を整理してみます。



1年生「スゲーことしてみよう!」


1年生は初めての文化祭。中学校での体験を基にやりたいことを主張する生徒もいると思いますが、高校の文化祭とのチューニングが出来ていないケースも多いと思います。そのままさせてしまうと、うまくハマることもあるかもしれませんが、黒歴史にもなりかねません。担任の力でしっかりとチューニングさせて上げる必要があると思います


基本的には、1年生の文化祭においても、「様子見」で終わらず、しっかりと成功体験を感じさせたいと考えています。一方で、まだ微妙に人間関係やスター性を見いだせていない状況だったりもします。よって、基本的には教員主導でレールを引き、その上を走らせて達成感を感じさせる工夫が良いと考えます。


①1年間掛けて、文化祭の企画のアイデアをじっくり寝かせて考える

②入学当初から生徒との関係性をうまく構築し、さらに土台の種を仕込む(うまくいくビジョンを刷り込む)

③棄却されてもいいので、企画の骨格として、担任案を提示する


1年生の文化祭のゴールは、やはり「今年の1年生はなんか面白かった!」と言ってもらえることだと思います。また、これは最強の強みかもしれませんが、1年生は昨年の3年生の発表を直接的に知らない場合が多いので、案外うまく行ったアイデアを吹き込んでも「あれは先輩のパクリじゃん!」になりづらいだけでなく、固まったイメージを持たないので独自のアレンジを加えて実行します。ぶっちゃけ、前年の3年生の発表をうまくアレンジしたものを軸に、教員の方できっちりレールを敷き、成功体験を収めさせ、それを運営する中でチームワークを構築するのが最もうまくいくプランな気がします。


イメージとしては、「教員が敷いたレールに、気づかないうちに乗せてしまう」という運営方針がうまくいくような気がします。


逆に、個人的に「危ないな、、、」と思う運営方法は、1年生に対して企画を丸投げしてしまうことです。上述もしましたが、まず人間関係がきっちり構築できていないので不和が起こりやすい状況です。更に、リーダーシップを発揮する生徒は、その高校での文化祭の経験がないために中学校時代の成功体験を基に進めていきますが、他の中学校出身の生徒との共通認識の差も、無意識に関係性を悪化させる可能性があります。また、また、1年生に対してクラスの司会進行を振るのはリスクが高いと考えています。というのも、そもそも生徒間の関係性が弱い+高校の文化祭の雰囲気がわかっていない という点から、提案も難しいですし、その提案が成功するのも難しいと思います。1学年で失敗をしてしまうと、2学年以降の行事への印象に関わってくるため、ある程度の成功が求められると考えています。仮に失敗したとしても「先生が言いだした企画だったからごめんね!」とヘイトを集める余地を残しておくべきだと思います。


もちろん、「生徒が作り上げるからこそ価値がある」という主張もごもっともだと思います。ただ、企画のプロットこそ教員の方で提案しても、十分生徒が取り組む余地は残っていますし、1年生の行事の位置づけは「企画力」というよりかは「コミュニケーション力」の育成だと思うので、教師の手のひらの上で関係性を構築させていく方が成功しやすいのでは?と思います。



2年生「仕切り方をこうしてみよう!」


2年生は2度目の文化祭。前年とは違い、学校での立ち位置も割と固まってきています。リーダーシップを発揮できる人間が台頭し、ある程度グループを固く構成されている中での企画運営になります。2年生の段階で起こるトラブルとして、グループ間でやりたいことが一致しなかった際の摩擦が挙げられます。


基本的に私は、2年生の文化祭では、「リーダーの育成」を中心に考えます。


2年生ともなると、生徒が高校の特色とすり合わせが出来た状態での企画を提案出来るようになっていますし、クラスの個々の性格についても、ある程度理解できてきています。故に生徒に対して、議論をする時間を設けることが増えてきますが、重要なのは、事前に司会進行を考えている生徒に対して「今日の会議ではどのような進め方を考えていますか?」と尋ねることだと思います。


基本的に2年生ともなればクラスの中心人物が企画の検討会議の司会進行をするのですが、経験上、結局はその司会役と仲のいい生徒が内輪のテンションで企画の話を進めてしまい、グループによる発言権の差が大きな不和を導くケースが多いように思われます。よって、急に「〇〇係さん、仕切ってください」という無茶振りを行うのではなく、事前に「この時間は文化祭について会議を行うので、○○係は会議の準備をしてください。」と全体に予告した上で、個人的に「どのように進めるの?その進め方で、意見を言いづらい子の思いは反映されるようになってますか?独りよがりの進行になってない?クラスの全員が達成感を感じられる発表になるように、全員が関われる工夫はありますか?」と綿密に打ち合わせる必要があると思います。


この経験をさせておくことで、「上手な会議の土台」が生徒に植え付けることができるために、以降の行事においても、深刻な不和が起こりづらくなる予防になると思います。また、リーダーシップはある程度、伝染を引き起こし、他の生徒が仕切る際にも勝手に進行のスタイルを踏襲するようにもなります。(個人的に、リーダーシップの育成には「場面設定」ももちろん重要だと思いますが、それ以上に「引き出しの多さ」が重要だと思います。生徒の進行を見守りながら、リーダーの仕切りがうまくいくようにレールを敷き、そのリーダー中心に成功へと収束する形をとってあげるべきだと思います。)



3年生「個人の温度感の違いには気をつけようね!」


3年生は最後の文化祭。2年間を踏まえて、生徒が色んな思いをもって文化祭へと向かっています特に、代表の生徒の思いは熱い場合が多く、成功のためならどんなにしんどくてもやりきるぞ!という熱意が発生しています。一方で考えられるトラブルとしては、その熱量が故の温度差です。中には既に「受験の勉強にシフトしないといけない」と危機感を感じている生徒もいますし、「部活の引退直前!」という生徒もいます。彼らがぶつかると、せっかくの3年間の人間関係に亀裂が入る可能性もあります。


基本的に私は、2年間で「組織づくり」と「リーダシップの育成」を終えているので、教員の方で積極的に関わりに行くのは多干渉だと考えます。よって、3年生に対して行うべきは、事前に全体に対して「温度差が存在している以上、双方が歩み寄る必要がある」と強調することだと考えています。


私は行事が大好き人間なので、「行事も学業も両方とも成功してこそ!」という信条の持ち主なのですが、それはあくまでも行事が好きな人間側の意見にすぎないのであって、別に好きではない人間、特に既に他のことに集中したいと考えている人間にとっては迷惑極まりない発想以外の何物でもありません。生徒は3年間で価値観を築き上げています。進路について真剣に考えた結果、「行事よりも学業」と考えることは悪ではありません。また、部活の引退と関わる生徒もいます。もちろん、「最高の形で行事を迎えたい」と思うのも間違ってはいません。それぞれが熱くなっているからこそ、その前提の温度感の違いを見落としやすくなっているケースがあるので、改めて温度感の違いを強調した上で、「全員で最善の形」を築くことが重要だと考えます。


また、3年生ともなると集大成です。よっぽど私よりも器用に企画運営する生徒がゴロゴロ出てきています。生徒たちが才能を発揮できるように、「他者への理解&妥協点」や「目標への最短ルート」等、生きていく上で学ぶべきエッセンスが詰まっていると思うのですが、どうなんでしょうか、、、



まとめと本音


コロナウイルスのせいで、一時的に行事は中断し、築き上げてきた流れがとどまっている状況があるのは間違いないです。これをきっかけに、踏襲的だった行事を、改めてより理想的なバージョンアップする、よいきっかけなのかもしれません。


もちろん、このバージョンアップについては、教員の働き方改革にも関連します。改めて、行事で期待される教育的な効果を考えた上で、成功事例を踏襲し続け肥大に膨れ上がったモンスターを、改めてスリム化するチャンスだと思います。


行事を上手に活用できる担任でありたいものです。

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